銀行の詳細理論 — 残余利益モデルと規制資本
預金は資金調達であると同時に事業の原材料。銀行は株主価値を直接、残余利益・FCFE・配当のいずれかで評価し、ここではTCE(有形普通株主資本)をKe超のROTEで増やす力を評価する。
1. なぜFCFF DCFを使わないのか
一般企業モデルでは「有利子負債=資本提供者への請求権」であり、EVから控除すべき対象だった。 しかし銀行にとって預金は資金調達でありながら同時に主要な原材料である。 預金を払い戻される義務がある一方で、それを貸出や証券に運用して利ザヤ(NIM)を稼ぐ—— つまり負債側の項目が営業CFの源泉そのものになるため、一般企業と同じ営業CF・純負債ブリッジを 機械的に適用するのは不適切である。FCFFを理論上定義できないという意味ではなく、実務上は FCFE・配当割引・残余利益のように株主価値を直接評価する方が、資本規制と還元政策を表現しやすい。 EV/EBITDAも銀行では負債が原材料となるため、通常の事業会社の倍率として使うと誤解を招く。 銀行株主の価値の源泉は「バランスシート全体から生まれる純利益が、株主資本コスト(Ke)を 上回るリターンを有形資本に対して生み続ける力」に尽きる。したがって株主視点のキャッシュフロー (配当+自社株買い)または残余利益で直接割り引くのが理論的に正しい。
2. 残余利益モデルの導出(クリーンサプラス)
2.1 定式化
理論株主価値 V = TCE0 + Σ(t=1..10) RI_t ÷ (1+Ke)^t + 継続価値PV
ただし残余利益 RI_t = 純利益_t − TCE(期首)_t × Ke
継続価値(10年時点) = TCE10 × (安定期ROTE − Ke) ÷ (Ke − g)、成立条件は ROTE > g かつ Ke > g。 Ke−gが正でも極小なら継続価値が不安定になるため、本サイトの数値安定性管理では25bp未満を停止し、25bp以上100bp未満を高感度警告とする。 これは残余利益理論の普遍定数ではなく、偽の精度を避けるサイト内の保守的な管理基準である。 ここでROTEは「翌年純利益 ÷ 期首のクリーンサープラス調整済みTCE」として入力する。 平均TCEベースの開示ROTEをそのまま入れる場合は、期首ベースへ調整しなければならない。 PVはすべて今日時点へKeで割り引く。
直感:株主がすでに拠出・蓄積した資本(TCE0)そのものに加えて、「期待リターンKeを上回る部分だけ」が 付加価値である。ちょうどKeに一致する利益しか出せない銀行は帳簿価値どおりの価値しかなく、 Ke未満のROTEが続けば帳簿割れが理論値となる。
2.2 クリーンサプラス恒等式
各年で TCE(期末) = TCE(期初) + 純利益 − 還元(配当+純買戻額)という帳簿の繰り返しを保つ。 この恒等式が成り立つ限り、「残余利益の現在価値合計」と「還元の現在価値+期末資本の現在価値」は 数学的に厳密に一致する。超詳細版では2経路の算術差分(cleanSurplusCheckDiff)を検査し、 許容誤差を超えた場合は結果を表示しない。なお、同じ予測行を両経路で使うため、この検査だけで AOCI・SBC・規制資本の会計定義が正しいことまで証明するものではない。
3. 正当化P/TBVとの関係
安定期にROTE・g・Keが一定という仮定のもとで残余利益モデルを解くと、Gordon型の閉形式が得られる。
正当化P/TBV = (ROTE − g) ÷ (Ke − g)
留保率 b = g ÷ ROTE、総還元率 = 1 − g/ROTE。簡易版(TBVPS×正当化P/TBV)はこの閉形式の直接適用であり、 超詳細版(年次残余利益)と理論上同じ答えに収束する。乖離が出るのは、(1)過渡期のROTEが安定期値と違う、 (2)規制資本制約で還元が抑制されgの実現が阻害される、(3)買戻価格がP/TBV1倍から外れる——の3つが主因である。 簡易版のTBVPS成長率は10年間の過渡期経路、gは終端の成長率であり、両者が異なる場合はその理由を明示する。 Ke−gが100bp未満ならKe・g・ROTEの感度を必ず併記し、25bp未満では閉形式の値を表示しない。 したがって簡易版と超詳細版の差は「誤差」ではなく「制約と過渡期の表現力の違い」と読むべきである。 g<0の場合、式は数学的には計算できるが、終端還元率が100%を超える純買戻し・簿価縮小を意味するため、通常の配当性向として解釈しない。 なお正当化P/Bが1倍を大きく下回るのは ROTE < Ke の別表現であり、PBR1倍割れの銀行には 「市場が永続的な残余利益マイナスを織り込んでいる」という意味がある。
4. 規制資本制約付き還元と年次計算
4.1 P&Lの構築
- NII = 平均運用資産 × NIM(NIMは現在→10年後目標へ線形フェード)。本モデルは経費を収益連動率で置くためNIMは0以上を要求し、負のNIMを入力して負の経費を作ることを禁止する
- 預金は年次貸出/預金比率の資金調達診断に使用する。預金不足による調達コストはNIM前提へ明示的に織り込む
- 営業収益 = NII + 非金利収益(手数料)。経費 = 営業収益 × 経費率
- 信用費用 = 平均貸出 × 信用コスト(正常化サイクル前提へフェード)
- 純利益 = 税引前利益が正なら(営業収益 − 経費 − 信用費用)× (1−税率)、負なら税効果を認識せず税引前損失をそのまま使う
預金成長は貸出/預金比率の診断に使い、預金調達コストは入力NIMに織り込み済みと仮定する。 したがって預金成長がNIMを機械的に変えるモデルではない。終端では内部留保率 g/ROTE と 10年後RWA成長から必要規制資本を投影し、還元率の急変や資本不足があれば停止・警告する。
4.2 資本制約の内生化
必要規制資本 = RWA × 目標規制資本比率。ここでの規制資本比率は、CET1・Tier 1・Total Capital、 資本保全バッファ、G-SIB加算、カウンターシクリカルバッファ、Pillar 2、レバレッジ比率を一つに集約した 教育用proxyであり、実際のBasel判定を代替しない。各年の還元可能上限は「規制資本 + 当期純利益 − 必要規制資本」。 目標還元額(純利益×目標総還元率)がこの余力を超える場合は超えた分だけ還元を停止する。 評価日時点で不足している場合、および10年後のRWA成長と終端gの内部留保が不足する場合は、増資を仮定せず計算を停止する。 架空の増資で不足を補填して還元を続ける前提は捏造であり禁止する。余力不足が起きた年は警告として記録され、 maxCapitalShortfallが正のままなら前提(資産成長率・目標比率・還元率)の再設計が必要である。
4.3 株式数とTBVPSの経路
株式数増加入力は、TCEを変えない純粋な希薄化率として扱う。この率を使う場合は、 予測純利益・経費率からSBC費用を除外するか、SBC額と同額のAPIC増加を別途クリーンサープラスへ反映する。 現エンジンにはSBC額入力がないため、標準入力では「利益からSBC費用を除外し、希薄化だけを株式数へ反映」を採用する。 希薄化を反映した上で買戻しを行う。買戻価格は期首(希薄化前)TBVPS × 買戻P/TBV前提、 買戻株数 = 金額 ÷ 価格。期末TCEを期末株式数で割ってTBVPS経路を作る。買戻価格がTBV割の場合、 同じ金額でも消滅株数が増え残存株主のTBVPS成長が加速する(逆にTBV超買戻しは希薄化効果を持つ)。 画面単位はTCE・還元額が億円、株式数が百万株なので、円/株 = 億円×100÷百万株、 買戻百万株 = 億円×100÷円/株として換算する。 将来の純粋希薄化率が正の場合、会社全体の今日価値を現在株数で割ると将来発行株へ移る請求権を無視する。 発行対価・権利確定時点・APICの入力がない現モデルでは今日の1株価値を表示せず、10年後株価だけを希薄化後株式数で算出する。
5. ストレス検査
ベースケースとは別に、1年目相当へ同時ショックを与える。(1) 金利ショックによるNII低下率、 (2) ストレス時信用コスト、(3) AOCI等の資本損失率(保有債券の時価評価損)。 資本損失は教育用proxyとしてTCEと規制資本へ同額に波及させ、実際のCET1調整を代替しない。 税引前損失にはNOL根拠がない限り税盾を与えない。ショック後の純利益と規制比率を算出し、 必要規制資本を下回る場合は不足額(postStressShortfall)を表示する。 加えて日常の診断警告として、正常化純利益が報告値から25%以上乖離(前提の妥当性確認)、 継続価値比率75%超(明示期間が薄い)、Terminal P/TBV 3倍超、貸出/預金120%超(資金調達リスク)を監視する。 Bear/Base/Bullシナリオは資産成長・NIM・信用コスト・安定期ROTEを同時に動かすストレスであり、信頼区間ではない。
6. 二重計上しやすい項目
- TCEと規制資本の混同: 残余利益の基数はTCE(有形・普通株主ベース)であり、 優先株やAT1を含むTotal Capitalではない。両者を混ぜるとKe課税基数が壊れる。
- 信用コストの二重取り: 引当金を費用として差し引いた上で、貸出残高にも別途ディスカウントを掛ける。
- 還元と成長の矛盾: 高いg(=高留保)と高い総還元率を同時に置く。留保がなければ資産もRWAもTCEも成長しない。
- 資本不足の隠蔽: 制約を無視して還元を続け、TCE成長と還元の両方を数える(クリーンサプラス破れ)。
- SBC: 株式数増加入力を使う場合は予測純利益からSBC費用を除外する。費用を含める場合は同額APICを反映できる別モデルが必要で、費用減少と希薄化だけを同時に置かない。
- NIIと金利感度: ベースのNIM経路に既に金利見通しを含めているのに、ストレスで再度全量を掛ける。
7. 失敗パターン
- 安定期ROTEの過大宣言: 日本の都市銀行の長期ROTE中央値は一桁台が普通である。10%超の永続ROTEは強い根拠が要る。
- g ≒ Ke の危険な縁: 分母(Ke−g)が小さくなると継続価値が発散気味に膨らむ。Terminal P/TBV 3倍超の警告はこれを検知する。
- 規制比率の楽観: 目標規制資本比率を実勢より低く置くと、初期年から不自然に高い還元率が「成立」してしまう。
- 循環ピークの正常化漏れ: 信用コストが異常に低い年度を「正常値」として起点にすると純利益が系統的に過大になる。
- デポジットフライトの無視: 貸出/預金120%超の警告が出ているのに預金成長を貸出成長と同等に置き続ける。
- 買戻し前提の捏造: P/TBV1倍を大きく超える価格での大規模買戻しを、資金制約なしに織り込む。
- 負の株主価値: 明示期間の大幅な負の残余利益で今日の価値が0以下になる場合、破綻・清算価値を別モデル化せず価格を表示しない。
8. 参考文献
- Ohlson (1995): “Earnings, Book Values, and Dividends in Equity Valuation”, Contemporary Accounting Research
- Penman: Financial Statement Analysis and Security Valuation(残余利益フレームワークの標準教科書)
- Basel III / IV(BIS): 自己資本規制の枠組み(CET1・Tier1・Total Capital、レバレッジ比率)
- 日本銀行・金融庁: 金融システムレポート、キャピタル規制に関する資料
- 各行 Pillar 3 開示、有価証券報告書、決算説明会資料(TCE・RWA・還元方針の一次情報)
- Federal Reserve: DFAST/CCAR ストレステストの公開シナリオ(ストレス設計の参考)