レベル: 応用 / 読了目安: 約45分 / 前提知識: 第3章〜第8章すべて。特にND橋渡し、希薄化、正常化。
学習目標
- 上場黒字企業を半日で評価する定型手順を実行できる
- 二段階FCFFモデルを手計算し1株価値まで落とせる
- TV依存度と感度表を使ってレンジで結論を出せる
理論の起源
B. Greenwald, J. Kahn, P. Sonkin, M. van Biema, Value Investing: From Graham to Buffett and Beyond, Wiley, 2001(正味現在価値/稼得力価値による簡易評価)。定型ワークフローとしては Koller, Goedhart, Wessels, Valuation, Wiley。
本文
半日でできる初手のワークフロー
上場・黒字・継続事業前提の企業に対する簡易だが筋の良い評価手順は五段階である。
(1) データ収集: 決算短信・有報から売上、営業利益、FCF要素(償却・Capex・ΔWC)、有利子負債・現金、発行済み株式数を拾う。
(2) 正常化: 第8章の手法で営業利益・FCFの中位水準を置く。
(3) 二段階FCFFモデルの教育例: 明示5年+定常状態。
(4) EV→株主価値→1株価値: 第3章・第5章の橋渡し。
(5) 相対法クロスチェック: 同業EV/EBITDA中央値と突き合わせ、レンジで提示。
簡易モデルと主値モデルを分ける
本サイトの簡易4モデル群(黒字企業モデル内にPER・FCFEの2経路、ほかに赤字・非上場・銀行)は、10年後の事業像を素早く構造化するための conditional / cross_check であり、理論株価の主値ではない。簡易PER、簡易FCFE継続価値、赤字企業の確率加重終点、非上場のExit倍率、簡易銀行P/TBVを、詳細モデルと機械的に平均してはいけない。一般事業会社の主値候補は、必要入力が揃い、再投資・資金調達・希薄化・リスク二重計上・Gordon安定性の検査を通った10年FCFF DCFである。検査に通らなければ primary_value_eligible=false とし、簡易値だけを「理論株価」と呼ばない。
数値例:二段階FCFFモデル(一般理論の教育例)
以下でFCFと略記する数値は、利息控除前・税引後で設備投資と運転資本増加を控除したFCFFである。FCFF0 = 90億円。1〜5年目は年5%成長、6年目以降は年2%。WACC7%。
この5年明示DCFはDCFの構造を手計算で学ぶための一般理論例であり、現行サイトの簡易実装そのものではない。現行簡易版は year10 の終点価値を返す cross_check、一般企業の主値候補は年ごとの10年FCFFを割り引く詳細DCFである。期間の違う値や year10 と today の値を同列に平均してはならない。
FCF1..5 = 94.50、99.23、104.19、109.40、114.87億円
割引係数(7%) = 0.9346、0.8734、0.8163、0.7629、0.7130
明示期間PV = 88.32 + 86.67 + 85.05 + 83.46 + 81.90 = 約425.4億円
TV(5年末) = FCF6 / (WACC − g) = (114.87 × 1.02) / (0.07 − 0.02) = 117.16 / 0.05 ≈ 2,343億円
PV(TV) = 2,343 × 0.7130 ≈ 約1,670.7億円
EV = 425.4 + 1,670.7 ≈ 約2,096億円
ここでFCF6=117.16億円は、定常成長に必要な再投資を既に差し引いたFCFFでなければならない。NOPATから出発するなら、終端再投資率=g/ROIC、FCFF6=正常化NOPAT6×(1−g/ROIC)と組み立てる。成長率だけを上げ、成長を支える再投資を省くのは理論上の過大評価である。
NDが300億円なら株主価値 = 2,096 − 300 = 1,796億円。発行済み2,000万株で 1株価値 = 179,600百万 ÷ 20,000千株 = 約8,980円。
クロスチェック: 同業EV/EBITDA中央値6倍、自社EBITDA350億円ならEV=2,100億円となり絶対法とほぼ整合する。乖離する場合は仮定側の見直し候補が特定できる。
TV依存の直視
この例ではTVのPVがEVの約80%(1,670.7/2,096)を占める。つまり結論の大部分は「最終成長2%・WACC7%の定常状態」への信念である。TV比率が8割前後のモデルでは、(1)g1.5〜2.5%×WACC6〜8%の感度表、(2)明示期間延長の代替案、を必ず添える。
感度表の読み方も定型化しておく。g1.5〜2.5%×WACC6〜8%の九セルを作り、四隅の最小・最大を必ず確認する。例題の構造ではWACCを7%から8%に上げると分母が0.05→0.06でTV自体は約17%減、割引増加分と合わせPV(TV)は約2割低下する。gを0.5ポイント下げてもほぼ同程度動く。四隅の幅が中心値の±30%を超えるなら、そのモデルは「一点の数字」ではなく「シナリオの地図」として提示すべきである。さらに悲観・中立・楽観の三シナリオを、成長率・マージン・再投資というドライバーごとに明示的に定義してモデルを回す。シナリオ定義がドライバーベースで書かれている限り、第三者はどのセルを疑えばよいか即座に理解できる。出力の見せ方の標準フォーマットも決めておきたい。「中心値・レンジ・主要ドライバー三つの感度・TV依存度」を一枚のサマリーに集約すれば、読み手はこの四点だけで結論の強さと限界を判定できる。
反例・失敗パターン
第一は単一点出力(「8,980円だから割安」)。第二は古いBSからのND引用(直近で社債償還があれば全滅)。第三は正常化せず直近年FCFを伸ばすこと(サイクル山なら過大)。第四は希薄化無視(第5章)。第五はクロスチェック乖離時に都合の悪い方を捨てること。乖離こそ情報であり、説明できない側の仮定を見直すのが作法である。
メリットとデメリット
メリットは、(1)着手可能な工数(半日)で筋の通ったレンジが出る、(2)手順が定型で他人がレビューしやすい、(3)相対法との突合で粗い誤りを自動検出できる、の三点。デメリットは、(1)TV依存が避けられない、(2)正常化判断が初学者には難しい、(3)開発パイプライン等の特殊資産を拾いきれない、の三点である。
適用条件・非適用条件
適用は上場・黒字・継続事業前提の一般企業。非適用は赤字再建中の企業、金融機関、そして事業転換途上で過去データが未来を語らない企業(オプション価値が支配的になるため)。
本サイトの思想との接続
簡易評価の目的は正解ではなく反証可能なレンジである。「8,980円」ではなく「感度表込みで中立シナリオ帯は約X〜Y円」と言えることが、監査可能な評価の第一歩である。全手順は事実層(開示数値)から始まり推定層(正常化)と仮定層(g・WACC)へ進む、第9章の実践編でもある。簡易版は cross_check、検査済み詳細DCFだけが主値候補、という役割を出力にも残す。
変数辞書
| 変数 | 意味 |
|---|---|
| FCFF0 | 基準年の正常化FCFF。利息控除前・税引後、再投資控除後 |
| WACC | 加重平均資本コスト。全体CFの割引率 |
| TV | 継続価値。明示期間末の残存価値 |
| TV_share | TVのPVがEVに占める比率。依存度指標 |
| VPS | 1株当たり価値。株主価値÷希薄化後株式数 |
推定方法
FCFF0は3年移動平均+正常化。成長率はドライバー予測(第8章)。WACCはCAPM/WACC(第7章)。終端FCFFはg/ROICの再投資を控除する。NDは直近BS、株数は希薄化後。各入力の層ラベルと根拠をモデルカードに記録する(第9章)。
数値例
明示PV合計425.4億+PV(TV)1,670.7億=EV約2,096億。−ND300億=株主価値1,796億。2,000万株で約8,980円。同業EV/EBITDA6倍×EBITDA350億=2,100億と整合。
反例
サイクル山頂のFCF150億をFCF0として伸ばした結果、1株価値が中立ケースより約40%高くなり、翌年業績正常化して評価が崩れたケース。正常化ステップ(2)を省略しただけで生じる失敗の反例。
利点/欠点
- 利点: 半日の工数で筋の通ったレンジが出る
- 利点: 定型手順でレビューしやすい
- 利点: 相対法との突合で粗い誤りを検出できる
- 欠点: TV依存が避けられない(本例でも約80%)
- 欠点: 正常化判断に習熟が必要
- 欠点: 特殊資産やオプション性を拾いきれない
適用条件・非適用条件
適用できる場面: 上場・黒字・継続事業前提の一般事業会社の初回スクリーニング。
適用できない場面: 赤字再建中の企業、金融機関、転換途上で過去データが無意味な企業。
本サイト入力との対応
簡易4モデル群(黒字企業モデル内にPER・FCFEの2経路)は conditional / cross_check / 主値不可。超詳細一般企業DCFは、全入力・WACC−g・終端g/ROIC・資金調達・希薄化・リスク二重計上の検査を通った場合だけ primary。結果のTV依存度と感度表は本章の監査手順に対応する。
精度の読み方
1株価値は百円単位、EVは十億単位で丸める。TV比率が70%超なら結論は必ず「レンジ」で提示し、中心値だけを切り取らない。感度表の四隅(g×WACC)の最大差を必ず報告する。
よくある誤り
- 単一点の理論株価だけを結論として出す
- 正常化を省略して直近年のFCFを外挿する
- 相対法との乖離を説明せず都合の良い方を採用する
技術付録
手順(5)の相対法は「答え合わせ」ではなく「矛盾探知機」である。絶対法2,096億に対し相対法が1,400億なら、どちらの仮定群が市場と自分で異なるのかを言語化する作業に変換する。それができない場合は結論保留が正当なアウトプットである。
一次資料
- B. Greenwald, J. Kahn, P. Sonkin, M. van Biema, Value Investing: From Graham to Buffett and Beyond, Wiley, 2001
- Koller, Goedhart, Wessels, Valuation: Measuring and Managing the Value of Companies, 7th ed., Wiley, 2020
- A. Damodaran, Investment Valuation, 3rd ed., Wiley, 2012
章末要約
- 収集→正常化→二段階FCFF→橋渡し→独立クロスチェックの五手順
- 例題: EV約2,096億、1株約8,980円、TV比率約80%
- 簡易値はcross_check、検査済み詳細DCFだけを主値候補とし、結論は感度表付きレンジで出す
理解度クイズ
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