第21章 銀行をP/TBVと残余利益で評価する

レベル: 上級 / 読了目安: 約45分 / 前提知識: 第16章の残余利益モデルと、自己資本比率規制(CET1)の用語。

学習目標

  • 預金が資金調達でなく原材料であることを説明し、FCFF不使用の理由を述べられる
  • 規制資本制約から持続可能成長率を導出できる
  • 残余利益経路と正当化P/TBVを突き合わせて検算できる

理論の起源

Saunders, A., Financial Institutions Management: A Risk Management Approach, 9th ed., McGraw-Hill, 2018。銀行のバランスシートが事業そのものである構造と規制資本の力学を整理した標準教科書。

本文

預金は事業である

一般事業の評価では負債は資金調達であり、営業活動から切り離しやすい。銀行ではこの分離が実務上きわめて難しい。預金は資金調達であると同時に原材料であり、預金金利は営業費用(資金利益率の控除項目)、貸出金利は営業収入である。そのため一般企業と同じFCFF・純負債ブリッジを機械適用せず、FCFE・配当・残余利益で株主価値を直接評価する。

FCFFを使わない理由

(1) 利息の営業/財務分離が不可能で、EBITという概念が無意味になる。(2) ネット有利子負債という概念も無意味。預金残高を「負債」として控除したら、銀行の価値はほぼ常にマイナスになるという馬鹿げた帰結を招く。(3) WACCで割る対象(CF to firm)が定義できない。したがって銀行は最初から株主視点の式を使う。配当割当モデル(DDM)、残余利益モデル、株主資本コストで割るFTE法である。本章では残余利益とP/TBVを軸に据える。

規制資本制約が成長を決める

銀行の成長率は願望ではなく自己資本比率規制に縛られる。BVE 100億円、純利益8億円(ROE 8%)、配当性向40%とすれば内部留保は4.8億円。CET1目標比率10%を維持するなら、リスク加重資産(RWA)は現在1,000億円として、増加できるのは4.8億÷10%=48億円、すなわち最大4.8%までである。これは持続可能成長率 g = ROE × 内部留保率 = 8% × 60% = 4.8%と一致する。これ以上の貸出成長には、配当削減、増資(希薄化)、または収益率向上のどれかが必須である。成長率7%を実現したいなら必要内部留保率は7/8=87.5%で、配当はほぼ消える。

残余利益評価とP/TBVの検算

1株当たりBVE 800円、持続ROE 7%、Ke 6%、永続成長率2%の銀行を評価する。正当化P/TBVは

P/TBV = (ROE − g)/(Ke − g) = (0.07 − 0.02)/(0.06 − 0.02) = 0.05/0.04 = 1.25倍

残余利益経路でも検算できる。RI_1 = (0.07 − 0.06) × 800 = 8円/株。簿価が年2%成長する前提ならRIも2%成長し、

V = 800 + 8/(0.06 − 0.02) = 800 + 200 = 1,000円

となり、800 × 1.25 = 1,000円で完全一致する。逆に時価P/TBV 0.6倍、Ke 7%、g 1%なら、市場が期待する持続ROEは 0.01 + 0.6 × 0.06 = 4.6%と逆算できる。「PBR1倍未満=割安」ではなく「市場の悲観が妥当か」を問うのが正しい順序である。

金利環境と銀行価値

金利上昇局面では預金フランチャイズ(低コスト預金基盤)の相対価値が上がる。預金金利の転嫁が遅い銀行ほど貸出金利の再設定スピードとの差で純金利マージンが拡大するためである。ただし債券ポートフォリオの含み損(TBV毀損)が同時に発生するため、「マージン改善」と「簿価毀損」は必ずセットで読む。含み損の実現は将来の運用収益で時間分散的に回収される構造であり、TBVベースの評価ではこの時間差が見えにくい。

本サイトの簡易版と超詳細版

簡易銀行モデルはTBVPS10×正当化P/TBVで10年後株価を作るconditional / cross_checkであり、今日の理論価値と10年後株価を別キーで表示する。超詳細版は、平均運用資産×NIM、手数料、経費、信用費から各年純利益と残余利益を作り、期首・各年・11年目の規制資本を検査する。NIMが負、規制資本不足、クリーンサープラス重大不一致、steady ROTE≤g、Ke−g<25bpのどれかならnot_computableである。将来の純粋希薄化が正なら、発行対価・時点・請求権配分を置かずに今日の総株主価値を現在株数で割ってはならない。これらを全て通った超詳細版だけがprimary候補になる。

反例・失敗パターン

第一は銀行に一般企業と同じEV/EBITDAを機械適用すること。預金等を営業負債と資金調達負債へ安定的に切り分けられず、倍率比較が誤解を招きやすい。第二はTBVを「清算価値」と誤解し、P/TBV1倍未満を自動的に割安とすること。貸出債権の信用コストが進行中なら、TBV自体が過大かもしれない。第三は規制変更(自己資本比率の引き上げ、融資制限)を無視すること。本章の成長制約式の目標比率が変われば、持続可能成長率は即座に動く。

メリット・デメリットと適用条件

メリットは、(1)簿価が経済的実体に近い業種で、観測可能なアンカー(BVE)に価値の大半を置けること、(2)規制資本と成長の力学を式に組込めること、(3)PBRの逆算で市場期待を可視化できること。デメリットは、信用コスト(貸出引当)の推定が結果を大きく左右すること、オフバランス項目・為替・金利シェープの影響が大きいこと、会計上のTBVが国際的に均質でないこと。

適用条件は、預金・貸出を主業とする商業銀行、信託銀行。非適用条件は、証券子会社中心のグループ(SOTP併用)、投資銀行的なトレーディング主体の収益(シナリオ分析優位)である。

本サイトの思想との接続

「式は会社に合わせる」(第20章)の最たる例が銀行である。一般企業FCFFと純負債控除は使わない。簡易銀行はcross_check、超詳細残余利益は全門番通過時のみprimaryと役割を明記する。預金フランチャイズの強い地方銀行がPBR0.4倍なら「市場は持続ROE3%台を織り込む」と翻訳し、さらに規制資本と分配余力まで確認して初めて割安かを議論できる。

変数辞書

本章で使う変数
変数意味
CET1比率中核自己資本÷リスク加重資産。規制の最低ラインと目標値
RWAリスク加重資産。資産を信用リスク重みで換算した額
内部留保率純利益のうち配当せず残す割合
持続可能成長率g=ROE×内部留保率。規制資本制約とも整合する成長上限
正当化P/TBV(ROE−g)/(Ke−g)。定常状態の理論株価純資産倍率

推定方法

持続ROEは過去5〜10年と経営計画の平均から設定し、信用コストの循環平均を確保する。配当性向は株主還元方針から、CET1目標は規制最低+経営バッファから取る。Keは金融株ベータの特殊性(レバレッジ内生化)に注意して推定する。

数値例

BVE100億,NI8億,payout40%: 留保4.8億→CET1目標10%下でRWA増加上限48億=成長4.8%。g=8%×60%=4.8%と一致。正当化P/TBV=(7−2)/(6−2)=1.25倍。RI_1=8円/株でV=800+8/0.04=1,000円=BVE800×1.25。

反例

銀行にFCFFモデルを適用し、預金残高をネット有利子負債として控除した反例。預金は原材料であり、控除すると価値が構造的にマイナスになる。これは式と事業の本質の衝突であり、計算の細部以前の誤りである。

利点/欠点

  • 利点: 観測可能なBVEに価値の大半を置ける
  • 利点: 規制資本と成長の力学を式に組込める
  • 利点: PBR逆算で市場期待を可視化できる
  • 欠点: 信用コスト推定が結果を大きく左右する
  • 欠点: オフバランス・為替・金利形状の影響が大きい
  • 欠点: 会計TBVの国際均質性が低い

適用条件・非適用条件

適用できる場面: 預金・貸出を主業とする商業銀行、信託銀行。安定した預金基盤を持つ地方銀行。

適用できない場面: 証券子会社中心のグループ(SOTP併用)、トレーディング主体の投資銀行収益(シナリオ分析優位)。

本サイト入力との対応

簡易銀行はconditional / cross_check / primary_value_eligible=false。超詳細銀行は残余利益primary候補だが、クリーンサープラス、Ke−g≥25bp、NIM≥0、期首・各年・11年目の規制資本、税効果、希薄化を全て検査する。

精度の読み方

PBR0.6倍は「期待持続ROE約4.6%(Ke7%,g1%)」という一文に翻訳して読む。倍率の大小より、その背後のROE仮定が歴史実績と競争環境と整合するかを先に判定する。

よくある誤り

  • 銀行にEV/EBITDAまたはFCFFを適用する
  • P/TBV1倍未満を自動的に割安と判断する
  • 規制変更による成長上限の変化を無視する

技術付録

成長制約の一般式: RWA増加上限=内部留保÷CET1目標比率。目標比率を引き上げると同じ留保でも成長余地が縮む。規制サイクル(引き締め/緩和)は銀行の成長率を直接動かす外生変数である。

一次資料

  • Saunders, Financial Institutions Management: A Risk Management Approach, 9th ed., McGraw-Hill, 2018
  • Frost et al., The Bank Analyst's Handbook, Wiley, 2004
  • Penman, Financial Statement Analysis and Security Valuation, 5th ed., McGraw-Hill, 2013

章末要約

  • 預金は資金調達でなく原材料。利息が損益内で完結するためFCFF/WACCは使わない
  • 成長上限=内部留保÷(CET1目標×RWA)=ROE×留保率。例: 8%×60%=4.8%
  • 正当化P/TBV=(ROE−g)/(Ke−g)。RI経路(800+8/0.04=1,000円)と完全一致

理解度クイズ

1. BVE100億円・純利益8億円・配当性向40%・CET1目標10%・RWA1,000億円(ちょうど目標どおり)の銀行の、規制資本制約下での最大成長率はいくらか。
2. 銀行の評価でFCFFを使用しない理由として正しいものはどれか。
3. BVE800円・持続ROE7%・Ke6%・永続成長2%の銀行の正当化P/TBVはいくらか。

未回答の設問があります(0/3問回答済み)。

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