レベル: 中級 / 読了目安: 約40分 / 前提知識: 第1章(割引率の感度)、第3章(有利子負債と資本構造)。
学習目標
- CAPMで株主資本コストを計算できる
- WACCの加重平均式を手計算でき、税シールドの理由を説明できる
- Hamada式でβのレバレッジ調整ができる
理論の起源
W. F. Sharpe, Capital Asset Prices: A Theory of Market Equilibrium under Conditions of Risk, Journal of Finance, Vol.19, No.3, 1964(CAPM)。負債コストの税効果は F. Modigliani, M. H. Miller, Corporate Income Taxes and the Cost of Capital: A Correction, American Economic Review, 1963。
本文
要求リターンは誰のものか
割引率は「誰の要求リターンか」で決まる。株主の要求リターンが株主資本コスト Re、債権者のそれが負債コスト Rd。企業全体のFCF(FCFF)を割り引くには、両者を資本構造で加重平均したWACCを使う。
CAPM: Re = rf + β × ERP
WACC = (E/V) × Re + (D/V) × Rd × (1 − t)
E/V、D/Vは時価総額・有利子負債の時価ベース構成比、tは実効税率。Rdに(1−t)を掛けるのは、利息が損金として税を減らす(税シールド)ため、会社が実際に負担するコストは税後分だけだからである。
数値例:CAPMからWACCまで
rf = 1.5%、β = 1.1、ERP = 5.5%とすると
Re = 1.5 + 1.1 × 5.5 = 1.5 + 6.05 = 7.55%
D/V = 30%、E/V = 70%、Rd = 3%、t = 30%なら
WACC = 0.7 × 7.55 + 0.3 × 3 × 0.7 = 5.285 + 0.63 = 5.915 ≈ 約5.92%
βのレバレッジ調整(Hamada式)
個別銘柄の回帰βは財務レバレッジの影響を含む。同業他社からβを借りるときは、一度レバレッジを除去し(無レバβ βU)、自社の目標資本構造で掛け直す。
βL = βU × [1 + (1 − t) × D/E]
βU = 0.9、D/E = 30/70 = 0.4286、t = 30%なら
βL = 0.9 × (1 + 0.7 × 0.4286) = 0.9 × 1.3 = 1.17
この1.17をCAPMに入れると Re = 1.5 + 1.17×5.5 = 7.94%となる。レバレッジが高いほど株主リスクが増えるという直感が数値化されている。
ERPの選択
ERPには履歴法(長期の株式−国債リスクプレミアム平均。概ね4〜6%の帯)とインプライド法(現在の市場水準から逆算)がある。選択だけでReは1〜2ポイント動き、第1章の通り価値は数割変わる。「使ったERPとその根拠」を必ず注記する。
実務の追加調整として二つ知っておきたい。第一はサイズプレミアムで、時価総額の小さい企業は流動性と情報量の不足から要求リターンが高くなる傾向があり、歴史統計に基づく上乗せ(概ね1〜3%程度の帯で議論される)をERPに足す流派がある。採用時は幅と根拠の注記が必須である。第二は国別リスクプレミアムで、新興国事業の比重が高い企業ではカントリーリスクを売上または資産比率で加重してERPに加える方式が一般的だ。ここで重要な原則が調整の一元化である。リスクの上乗せはCF側(悲観シナリオ)か割引率側のどちらか一方に集約すべきで、両方で同時に調整すると保守性ではなく単なる二重計上となり価値を人為的に潰す。どちらを採ったかをモデルカード(第9章)に書いておけば第三者は即座に検出できる。
反例・失敗パターン
第一の失敗は通貨・物価の不整合。円建てCFに米国ERPやドル金利を使う、実質CFに名目金利を使う、といった組み合わせは誤差ではなく間違いである。第二は、標準誤差の大きい個別回帰βをそのまま使うこと(第9章で信頼区間を扱う)。第三は、M&A直後など一時的な資本構造を恒常扱いしてWACCを歪めること。ターゲット資本構造を使うのが標準である。第四は、rfに超短期金利を使うこと。DCFは長期モデルなのでrfは長期国債利回り(10年程度)を選ぶのが整合的である。
メリットとデメリット
CAPM/WACCのメリットは、(1)リスク調整済みの共通尺度が得られ企業間比較が可能になる、(2)感度分析の中心軸(rf・ERP・β)が明確になる、(3)理論が単純で監査可能である。デメリットは、(1)βとERPという推定誤差の大きい入力に依存する、(2)単一点の割引率が偽の精密さを与える、(3)「分散可能なリスクは価格化されない」という市場ポートフォリオ前提への依存である。
適用条件・非適用条件
適切なのは安定したターゲット資本構造を持つ一般事業会社のFCF割引。非適用は金融機関(預金という営業負債が資本として機能しβの解釈が壊れる)、非公開小規模企業(類似会社のβU借用に加えサイズプレミアムの追加が必要で、単純CAPMでは不足)。
本サイトの思想との接続
割引率は「最も敏感な仮定」の常連である。簡易版ツールでは割引率スライダー±1ポイントの感度表を必ず表示する。WACCの一点ではなく、rf+ERPのレンジから導かれる価値レンジを出すのが監査者の作法である。
変数辞書
| 変数 | 意味 |
|---|---|
| Re | 株主資本コスト。CAPMで推定する要求リターン |
| Rd | 負債コスト。新規借入時の利率ベース |
| t | 実効税率。税シールド計算に使用 |
| E/V | 時価総額の全体資本に占める比率 |
| D/V | 有利子負債(時価)の全体資本に占める比率 |
| beta_U | 無レバβ。レバレッジ影響を除去した事業リスク |
推定方法
rfは10年国債利回り。ERPは履歴法4〜6%またはインプライド法、選択根拠を注記。βは同業複数社のβU平均からHamada式で再レバレッジ。E/V・D/Vは時価ベースのターゲット資本構造。
数値例
Re=1.5+1.1×5.5=7.55%。WACC=0.7×7.55+0.3×3×0.7=5.285+0.63=約5.92%。Hamada: βL=0.9×(1+0.7×0.4286)=1.17。
反例
円建てキャッシュフローに対し、米国市場のERP(6%)と米国長期金利をrfとして使い、意味のない高割引率で「全銘柄割安」と結論したケース。通貨不整合は計算機械としては動くが経済的に無意味な反例。
利点/欠点
- 利点: リスク調整済みの共通尺度が得られる
- 利点: 感度分析の中心軸(rf・ERP・β)が明確
- 利点: 単純で第三者が検証しやすい
- 欠点: β・ERPの推定誤差が大きい
- 欠点: 一点のWACCが偽の精密さを与える
- 欠点: 市場ポートフォリオ等の理論前提への依存
適用条件・非適用条件
適用できる場面: ターゲット資本構造が安定した一般事業会社のFCFF割引(DCF)。
適用できない場面: 金融機関(βとEV分解の解釈が崩れる)、β推定不能な非公開小規模企業(サイズプレミアム等の追加枠組みが必要)。
本サイト入力との対応
簡易版ツールの「割引率」スライダーおよび自動計算モード(rf・ERP・β入力→WACC表示)に対応。感度表ページの基礎にもなる。
精度の読み方
WACCは0.01ポイント刻みでは意味がない。入力の推定誤差から±0.5〜1.0ポイントの幅で持ち、価値側ではレンジに変換して表示する。丸めは最終段階でのみ行う。
よくある誤り
- 通貨・物価の不整合(名目/実質、円/ドル)で割引率を組む
- 標準誤差の大きい個別回帰βを補正なしで使う
- 一時的な資本構造(M&A直後)を恒常扱いする
技術付録
税シールドの直感: 借入100億・利率3%・税率30%なら利息3億により節税0.9億。実質負担は2.1億=100億×3%×0.7。これがWACC式の Rd×(1−t) の由来である。MM1963はこの税効果を定式化した。
一次資料
- W. F. Sharpe, Journal of Finance, Vol.19, No.3, 1964
- F. Modigliani, M. H. Miller, American Economic Review, Vol.53, No.3, 1963
- R. Brealey, S. Myers, A. Edmans, F. Allen, Principles of Corporate Finance, 14th ed., McGraw-Hill, 2023
章末要約
- Re=rf+β×ERP、WACC=(E/V)Re+(D/V)Rd(1−t)
- 例: 0.7×7.55%+0.63%=約5.92%。β調整はHamada式(0.9→1.17)
- 割引率は最敏感入力。レンジと感度表で運用する
理解度クイズ
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