レベル: 実践 / 読了目安: 約30分 / 前提知識: CAGRと複利(第2章相当)、PERと配当利回りの定義。対数・指数関数の初歩(電卓可)。
学習目標
- 自社株買いによる株数減少のEPS寄与を計算できる
- 倍率(PER)変化の年率影響を計算し予測から除外すべき理由を説明できる
- 経費率の複利効果とtax dragの課税タイミング差を段階差引で扱える
理論の起源
W. F. Sharpe, The Arithmetic of Active Management, Financial Analysts Journal, Vol.47, No.1, 1991。運用成果の算術的構造を明示した古典論文。J. C. Bogle, The Little Book of Common Sense Investing, Wiley, 2017 も経費率とコストの複利効果を詳述する。
本文
株式指数のリターンを分解する
指数やETFの長期リターンは、TSR(総投資家リターン)の構成要素に分解できる。
TSR ≒ 純利益成長 + 株数変動効果 + 配当利回り + 倍率変化 − 経費率 − tax drag
この分解が重要な理由は、各要素の「確からしさ」と「持続性」がまるで違うからである。純利益成長と配当は事業の観測事実に近く、倍率変化は投資家心理に由来する最も不確実な要素である。
パッシブとアクティブの理論上の役割
本サイトのパッシブ指数モデルはtheory_status=conditional、valuation_role=primaryである。指数利益、買戻し、現在・Exit PER、配当、経費、税、tracking differenceを年次複利で処理し、指数水準・PERが非正、率が範囲外、暗黙配当性向が100%超、費用の二重計上、複利係数が非正ならnot_computableとする。個別企業の理論株価ではなく、指数・ETFの10年経路を評価する主モデルという意味でのprimaryである。
アクティブ運用モデルはtheory_status=heuristic、valuation_role=stress_onlyである。容量利用率からalpha保持率への補間、閉鎖確率×再投資摩擦、独立正規active returnという便宜的仮定を含むため、理論価値や将来alphaの主値にしない。information ratioの分子は年次超過リターンの算術平均であり、幾何平均CAGRをtracking errorで割らない。ベンチマーク・費用・税・閉鎖摩擦を変えたストレス検査として使う。
買戻しの株数効果
自社株買いによる株数減少は、純利益が横ばいでもEPSを増やす。株数が年率3%減るとき、EPSへの寄与は 1/0.97 ≈ 1.0309、すなわち年+3.09%である。検算: 株数100に対し純利益100ならEPSは1.00。翌年は株数97・純利益100で EPS = 100/97 ≈ 1.0309。これは「機械的な」EPS成長であり、買戻し価格が内在価値を下回る限り残存株主を豊かにする。逆に内在価値を上回る価格での買戻しは、同額の配当よりも価値を毀損する。買戻しは価格次第で良いにも悪いにもなる操作であり、「買戻し=常に株主還元の強化」と単純化してはいけない。
倍率変化の影響
PERが15倍から12倍へ収縮するのに10年かかるとき、価格への寄与は年率で (12/15)^(1/10) − 1 = 0.8^0.1 − 1 ≈ −2.21% となる。検算: ln0.8 = −0.22314、÷10 = −0.022314、exp(−0.022314) ≈ 0.97793。倍率収縮は年2.2%の逆風であり、事業成長+5%を食って+2.8%に落とす。拡張局面では追い風になるが、これを予測することはできない。したがって長期期待リターンでは倍率変化をゼロと置くのが中立であり、倍率変化込みで期待リターンを語るのは投機である。なお拡張の逆ケースも同じ式である。PER12倍から14倍へ10年かけて回復するなら年率 +(14/12)^(1/10)−1 ≈ +1.55% だが、これを計画の前提に組み込むのは同様に投機である。
分解による合成の確認もできる。事業成長5%、株数効果+1%、配当利回り3%、倍率変化0%(中立)、経費率−0.1%、tax drag−0.6%なら、近似TSRは 5 + 1 + 3 + 0 − 0.1 − 0.6 = 年率8.3%程度となる。どの要素が観測事実(成長・配当・コスト)で、どの要素が仮定(倍率)かが一目で分かるのが分解の価値である。
経費率とtax dragの段階差引
ETFの実質リターンはインデックスリターンから(1)経費率(2)税負担(tax drag)を差し引いたものになる。経費率の複利効果は大きい。信託報酬0.05%と1.0%の商品の30年後残高比は 0.9995^30 ≈ 0.9851 対 0.99^30 ≈ 0.7397 となり、差は約24.5%に達する。検算: ln0.9995 ≈ −0.0005001 ×30 ≈ −0.015003 → e^-0.015003 ≈ 0.98511。ln0.99 ≈ −0.01005 ×30 ≈ −0.30151 → e^-0.30151 ≈ 0.73970。
tax dragは「課税タイミングの段階」で効き方が違う。分配金にかかる税は毎年課され複利を削る(年配当利回り3%×税率20%なら毎年−0.6%)。一方キャピタルゲイン課税は売却時まで繰り延べられ、同じ税率でも実効負担は軽い。さらにETFは運用内の組替えでファンドレベルの課税が生じにくい構造的利点がある。したがって比較は名目リターン同士ではなく「税引後・経費後の段階」を揃えて行う必要がある。
反例・失敗パターン
第一の失敗は買戻しによるEPS成長を事業成長と混同して二重に数えること。第二は倍率変化を期待リターンの予測に織り込むこと。第三は経費率比較を税引前で行うこと。第四は分配金を再投資せず現金で受け取る運用なのに「配当込み指数」のリターンをそのまま期待値として使うこと。
メリットとデメリット
メリットは、リターンの源泉を観測可能な要素に分解でき期待リターンの議論が健全になること、経費・税の構造差が長期で支配的だと理解できること、アクティブ運用の評価基準(ベンチマーク超過)が明確になることである。デメリットは、分解自体が加法近似であり複利の交互作用を無視すること、配当再投資タイミングで細部が変わること、指数編成(入替効果)を無視していることである。
適用条件・非適用条件
適するは広く分散した株式指数への長期投資の検討、アクティブ運用の成果判定。非適用は短期売買判断や、配当をキャッシュフローとして消費する運用(税の扱いが根本的に変わり、再投資前提の分解は使えない)。
本サイトの思想との接続
株数効果と経費率は観測事実に基づく構造的要素、倍率変化は仮定である。この分離に加え、パッシブは条件付きprimary、アクティブはheuristic / stress_onlyと役割を固定する。両者の出力を平均して期待リターンを作らない。
変数辞書
| 変数 | 意味 |
|---|---|
| 株数効果 | 自社株買いによる発行済株式数減少のEPS寄与 |
| 倍率変化 | PER等のマルチプルの期間変化の年率寄与 |
| 経費率 | 信託報酬・管理費用の残高比 |
| tax drag | 課税によるリターン毀損。課税タイミングで段階が違う |
| TSR | 総投資家リターン。価格CAGR+配当再投資 |
推定方法
純利益成長は市場全体またはセクタの利益トレンドから、配当利回りは現在値から設定する。倍率変化はゼロ置きが中立。経費率は商品約款の実質値、tax dragは個人の税率と課税形態(特定口座/一般口座)から推定する。
数値例
株数年3%減 → EPS寄与 +3.09%(100/97)。PER15→12倍10年 → 年率−2.21%。経費率0.05% vs 1.0%、30年 → 残高0.985 vs 0.740で差24.5%。配当利回り3%×税率20% → 毎年−0.6%のdrag。
反例
「EPSが年5%増えるから株価も年5%増」のうち、EPS成長の大半が自社株買い由来なのに事業成長と合算して二重に数える使い方。実際の事業成長は2%しかない場合、期待リターンは3ポイント過大になる。
利点/欠点
- 利点: リターンの源泉が観測可能な要素に分解できる
- 利点: 経費・税の構造差の重要性が理解できる
- 利点: アクティブ運用の評価基準が明確になる
- 欠点: 加法近似のため複利の交互作用を無視する
- 欠点: 配当再投資のタイミングで細部が変わる
- 欠点: 指数入替効果を織り込めない
適用条件・非適用条件
適用できる場面: 広く分散した株式指数への長期投資、ETF商品選択、アクティブ運用の成果判定。
適用できない場面: 短期売買、配当消費型のキャッシュフロー運用、流動性の低い個別銘柄集中投資。
本サイト入力との対応
指数ページに対応。パッシブはconditional / primaryで停止条件通過時だけ採用。アクティブは容量・閉鎖・正規分布近似を含むheuristic / stress_onlyで主値不可。IRは算術平均超過リターン÷tracking error。
精度の読み方
30年の累積では経費率0.1ポイント差が残高約3%差になる。倍率変化は±2〜3ポイント/年で動くため、10年予測の誤差範囲は最大で数十%になる。期待リターンは整数桁まで、それ以下の桁は意味がない。
よくある誤り
- 買戻し由来のEPS成長を事業成長と混ぜて二重に数える
- 倍率変化の追い風を期待リターンに織り込む
- 税引前で商品間の経費率比較をする
技術付録
(12/15)^(1/10) のようなn乗根は表計算のべき乗関数または対数で計算する。また日本の特定口座(源泉徴収あり)では分配・譲渡とも20.315%課税だが、NISA口座では非課税となるため、同じ商品でも口座種別でtax dragがゼロになり比較結果が反転する。
一次資料
- W. F. Sharpe, The Arithmetic of Active Management, Financial Analysts Journal, Vol.47, No.1, 1991
- J. C. Bogle, The Little Book of Common Sense Investing, Wiley, 2017
章末要約
- 株数3%減はEPS寄与+3.09%。買戻しは価格次第で良し悪しが決まる
- 倍率変化は予測不能。長期期待リターンにはゼロ置きが中立
- 経費率とtax dragは段階を揃えて差引く。30年で24.5%差も生じうる
理解度クイズ
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