第1章 理論価値は未来予知ではない
読了の目安 約5分まず最初に、誤解を一つ、粉々に叩き割っておきたい。
「理論株価」という言葉を聞いたとき、多くの人の頭の中にはこういう絵が浮かぶ。白衣を着たアナリストが水晶玉を覗き込み、「よし、10年後のこの会社の株価は3,412円だ」と厳かに宣言する——そんな占い師めいた絵だ。もしそれが理論株価の正体なら、この教科書はここで終わっていい。占いの本を書くつもりはないし、そもそも占いなら教科書ではなくタロットカードを買った方が安上がりだ。
理論株価とは、未来を「当てる」ための道具ではない。これは天気予報ではないし、競馬の予想でもない。理論株価とは、「この会社が将来生み出すお金を、今の価値に置き換えたらいくらになるか」を計算する、一種の翻訳作業である。翻訳という言葉を使ったのには理由がある。未来のお金と、今のお金は、同じ「円」という単位で書かれていても、実は全く別の言語なのだ。10年後の100万円と、今日の100万円は、額面が同じでも意味が違う。この「言語の違い」を橋渡しする作業こそが理論株価評価の本質であり、後の章で扱う「現在価値」という概念が、まさにその翻訳機にあたる。
ここで大事なのは、理論株価は「予言」ではなく「条件付きの計算結果」だということだ。もっと言えば、理論株価とは「もしこの前提が正しければ、この会社の価値はこれくらいのはずだ」という、仮定つきの答えでしかない。仮定が変われば、当然答えも変わる。同じ会社について、強気な人が計算すれば高い理論株価が出るし、弱気な人が計算すれば低い理論株価が出る。どちらも「計算としては正しい」ということが普通に起こりうる。なぜなら、計算式そのものは同じでも、そこに入れる「未来の売上成長率」や「利益率」や「割引率」といった前提(仮定)が違うからだ。
これは実は、理論株価評価という営みの「弱点」ではなく、「本質」である。もしこの世に唯一絶対の「正しい理論株価」が存在するなら、株式市場はとっくの昔に凍りついているはずだ。全員が同じ答えにたどり着き、誰も売らず誰も買わない、静止した市場になる。だが実際の株式市場は毎日大量の売買が成立している。なぜか。買い手と売り手が、同じ会社について、異なる前提を置き、異なる理論価値を頭の中で計算しているからだ。「この会社はもっと成長する」と思う人が買い、「もう頭打ちだ」と思う人が売る。理論株価とは、この「異なる意見のぶつかり合い」を、感覚や勘ではなく、きちんとした計算の土俵の上に乗せるためのフレームワークなのだ。
だからこそ、この教科書で君に身につけてほしい能力は、「正解の株価を暗記する能力」では断じてない。そんなものは存在しないし、存在するなら世界中の機関投資家がとっくに独占して大富豪になっている。身につけてほしいのは、「なぜその数字になったのかを、自分の頭で説明できる能力」だ。理論株価が3,000円と出たとして、「なぜ3,000円なのか」「その前提のどこが崩れたら2,000円になるのか」「逆にどこが上振れたら5,000円になるのか」——これを自分の言葉で語れるようになること。これが、初心者からプロへの道の、たった一つの分水嶺である。
もう少し比喩を使おう。理論株価評価は、天気予報というより、天気予報の裏側にある気象モデルに近い。気象予報士は「明日は必ず晴れる」と断言はしない。「降水確率30%」と言う。これは、気圧配置や気温、湿度といった観測データを前提に、物理法則に基づいてシミュレーションした「条件付きの推定」だ。前提となる観測データが変われば予報も変わるし、そもそも大気という複雑系は本質的に不確実性を含んでいる。それでも、気象学が「当てずっぽうの雨乞い」より圧倒的に有用なのは、そこに再現可能で検証可能な論理の筋道があるからだ。理論株価評価も全く同じ立ち位置にある。未来を確実に言い当てることはできない。しかし、「なぜそう考えるのか」を筋道立てて示すことで、当てずっぽうより遥かにマシな意思決定ができるようになる。
もう一つ、初心者がよく陥る罠についても触れておこう。それは「理論株価と市場株価は必ず一致するはずだ」という思い込みだ。これは半分正しく、半分は危険な誤解である。長期的には、企業の理論的な価値(=将来生み出すお金の総和を現在価値に翻訳したもの)と、市場でついている株価は、収斂していく傾向がある。これは経済学的にも実証的にも、ある程度支持されている考え方だ。しかし「長期的には」という言葉には大きな罠が潜んでいる。経済学者ジョン・メイナード・ケインズが遺したとされる有名な言葉に、「市場は、あなたが支払い能力を維持できるより長く、不合理な状態を維持できる」という趣旨のものがある。つまり、短期的には市場株価は理論株価から大きく乖離しうるし、その乖離がいつ解消されるかは誰にも分からない。理論株価を計算する目的は、「明日の株価を当てる」ことではなく、「今この株が割安か割高かの判断材料を持つ」ことにある、という点を強く強調しておきたい。
さらに言えば、理論株価には「唯一絶対の正解」がない代わりに、「明らかに間違った答え」というものは存在する。例えば、ある会社の前提として「今後10年間、毎年50%成長し続ける」という仮定を置いたとしよう。この仮定がどれほど非現実的かは、少し考えればすぐに分かる。もし本当に毎年50%成長を10年続けたら、その会社の売上は約57倍になる。世界中のどんな巨大企業も、そんなペースを長期間維持した例はほとんどない(ごく初期のスタートアップが一時的にそういう成長を見せることはあっても、10年間持続させるのは至難の業だ)。つまり、理論株価評価における「仮定の置き方」には、自由度はあっても無制限の自由があるわけではない。現実の経済、現実の産業構造、現実の競合環境という「重力」がちゃんと存在していて、その重力を無視した仮定は、どんなに精緻な数式で装飾しても、砂上の楼閣に過ぎない。
この章のタイトルにある「理論価値は未来予知ではない」というフレーズを、もう一度、今度は君自身の言葉で捉え直してほしい。理論株価評価とは、未来の一点を的中させるダーツではなく、未来にありうる複数のシナリオを、論理的に整理して比較するための地図である。地図は現地そのものではない。しかし、地図がなければ、どこに向かって歩けばいいのかすら分からない。この教科書がこれから47章にわたって君に手渡すのは、その地図の描き方——線の引き方、縮尺の合わせ方、記号の読み方——である。
最後にもう一度、強く釘を刺しておく。この教科書を読み終えたとき、君は「10年後の株価を計算する数式」を手に入れる。しかしその数式は、魔法の水晶玉ではない。むしろ逆だ。それは、「君自身の仮定の甘さや厳しさを、数字という鏡に映して突きつけてくる装置」である。理論株価評価を学ぶということは、未来を予知する能力を身につけることではなく、自分の思考の前提を、誰の目にも見える形で言語化し、検証し、磨き上げていく能力を身につけることなのだ。この心構えさえ持っていれば、これから展開される数式やモデルの羅列に、決して呑み込まれることはない。さあ、次の章から、いよいよ翻訳機の中身——複利と現在価値——に足を踏み入れていこう。