第2章 CAGR、複利、現在価値
読了の目安 約7分さて、いよいよこの教科書の「エンジン部品」とも言うべき、最も重要な三つの概念に取り掛かる。CAGR(年平均成長率)、複利、そして現在価値。この三つは、理論株価評価という建物における、基礎・柱・梁のような関係にある。ここを疎かにすると、あとでどれだけ立派な壁紙(=華麗な数式やモデル)を貼っても、建物ごと傾く。逆に言えば、ここさえ骨の髄まで理解してしまえば、後の45章はすべて「この三つの応用問題」に過ぎない、と言い切っても大げさではない。
CAGR(年平均成長率)という「ならし運転」の発想
CAGR、正式には Compound Annual Growth Rate、日本語で「年平均成長率」。これは何かというと、ある期間における「でこぼこした成長」を、「毎年同じ率で成長したとしたら」という架空の、しかし数学的には等価な、なめらかな成長率に「ならす」ための道具である。
例え話をしよう。ある会社の売上が、1年目は10%伸び、2年目はまさかのコロナショックで5%減り、3年目は反動で30%伸びた、としよう。この「10%、−5%、30%」という凸凹をそのまま眺めていても、「結局この会社は年平均でどれくらい成長しているのか」という一目で分かる感覚はつかみにくい。そこでCAGRの出番だ。CAGRは「始点の値」と「終点の値」と「期間」の3つだけを使い、その間の凸凹を完全に無視して、「もし毎年一定の率で成長していたら、この始点からこの終点にたどり着くには、年何%の成長が必要だったか」を逆算する。
数式で書くとこうなる。
CAGR = (終点の値 ÷ 始点の値)^(1 ÷ 経過年数) − 1
これだけ見ると数式アレルギーの人は目眩がするかもしれないが、恐れることはない。中身はいたってシンプルだ。「終点÷始点」で、その期間全体で「何倍になったか」を出す。次に、その倍率の「何乗根」を取ることで、「1年あたりの倍率」に変換する。最後に1を引くことで、「率」の形(パーセント表示できる形)に整える。それだけだ。
なぜ「何乗根」を取る必要があるのか。ここが複利の理解と直結する重要なポイントなので、次の節でじっくり扱うが、先に一言だけ言っておくと、成長というのは「足し算」ではなく「掛け算」の世界の出来事だからだ。1年目に10%増え、2年目にまた10%増えるというのは、「10%+10%=20%増える」ではなく、「1.1倍のさらに1.1倍=1.21倍、つまり21%増える」ということを意味する。この掛け算の連鎖こそが複利であり、CAGRはその掛け算の連鎖を「1年あたり何倍」という単一の数字に圧縮したものなのだ。
CAGRを理解する上で絶対に覚えておいてほしい注意点が一つある。それは、CAGRは「途中の道のり」を完全に無視するということだ。始点と終点だけを見て計算するので、途中でどれだけ暴れ回っていようが(急騰しようが暴落しようが)、CAGRの数字には一切反映されない。極端な話、ある会社の株価が1年目に100円から1万円に急騰し、2年目に1万円から101円に暴落したとしても、「1年目から3年目(始点から終点)」だけを見れば、CAGRは「ほぼゼロ成長」と計算される。この「途中を見ない」という性質は、便利である一方、危険でもある。CAGRという一つの数字だけを鵜呑みにして、「この会社は年平均〇%成長する優良企業だ」と結論づけるのは早計であり、必ず「途中の道のりはどうだったか」というグラフや推移データを併せて確認する癖をつけてほしい。これは初心者が最も陥りやすい罠の一つであり、プロとアマチュアを分ける最初の分水嶺でもある。
複利という「雪だるま」の物理法則
さて、複利の話に移ろう。複利という言葉自体は、恐らく多くの人が「銀行預金の利息」や「借金の恐ろしさ」といった文脈で耳にしたことがあるはずだ。「複利は人類最大の発明だ」という言葉がアインシュタインの発言として広く流布しているが、実際にアインシュタインがそう言った証拠は見つかっておらず、これは都市伝説の域を出ない。とはいえ、この言葉が長年語り継がれてきたこと自体が、複利という概念の破壊力を物語っている。
複利とは何か。一言で言えば、「利息が利息を生む」という現象だ。単利であれば、元本100万円に対して毎年5%の利息がつく場合、1年目も2年目も3年目も、常に「100万円の5%」つまり5万円ずつが増えていく。10年経てば、増えた分の合計は50万円、元本と合わせて150万円になる。ここまでは足し算の世界だ。
一方、複利の場合は違う。1年目に5%増えて105万円になったら、2年目はその105万円に対して5%が計算される。つまり2年目の増加分は5万円ではなく5万2,500円だ。3年目はさらに増えた110万2,500円に対して5%……と、雪だるま式に増加分そのものが増えていく。これが「複利は雪だるま式に増える」と表現される所以だ。
この違いは、期間が短ければ大した差にならないが、期間が長くなればなるほど、恐ろしいほどの差を生む。5%の利率で10年運用した場合、単利なら150万円、複利ならおよそ163万円。まだそれほど大きな差ではない。しかしこれが30年になると、単利は250万円で済むところ、複利はおよそ432万円にまで膨れ上がる。40年なら、単利300万円に対し、複利はおよそ704万円。この「後半になればなるほど加速していく」感覚こそが、複利の本質であり、理論株価評価においてもこの感覚が絶対的に重要になる。なぜなら、10年後の株価を予測するというのは、まさに「複利で会社の価値がどう積み上がっていくか」を計算する作業に他ならないからだ。
数式としては、以下のように表現される。
n年後の価値 = 現在の価値 × (1 + 成長率)^n
この「^n(n乗)」という部分が、複利の「掛け算の連鎖」を表現している部分だ。CAGRの数式が、この式を「終点の値と始点の値から成長率を逆算する」ために変形したものだった、ということも、ここで振り返っておくと理解が繋がるはずだ。
現在価値という「タイムマシンの為替レート」
そして、いよいよこの章の主役、「現在価値」の登場だ。ここまでの話は、いわば「現在から未来へ」の一方通行の計算だった。100万円が複利で何年後にいくらになるか、という話だ。しかし理論株価評価で本当に必要なのは、その逆方向の変換、つまり「未来のお金は、今の価値に直すといくらか」という計算である。これを「割引計算(ディスカウント)」と呼び、その結果得られる金額を「現在価値(プレゼントバリュー、PV)」と呼ぶ。
なぜこの逆変換が必要なのか。理由は単純明快だ。企業の理論的な価値とは、「その企業が将来生み出すお金の総和」だが、この「将来のお金」は、当然ながらまだ手元にない。1年後に手に入る100万円と、今日手元にある100万円は、額面は同じ「100万円」でも、価値としては同じではない。今日の100万円は今日から自由に使えるし、投資に回して増やすこともできる。1年後の100万円は、その1年間、何も生み出さない(あるいは、その間に得られたはずの利息や運用益を失っている)。この「時間の経過によって生じる価値の目減り」を定量化するのが、現在価値の計算である。
このとき使われる「割引率」という数字は、いわば「未来のお金を今のお金に両替するときの、タイムマシンの為替レート」だと考えると分かりやすい。為替レートが円とドルの交換比率を決めるように、割引率は「今日の1円」と「1年後の1円」の交換比率を決める。この割引率が高ければ高いほど、未来のお金の「今の価値」は目減りする。なぜなら、割引率が高いというのは、「今すぐ手に入るお金を投資に回せば、それだけ速く増やせる(=もっと良い代替手段がある)」ということを意味し、その分、未来にしか手に入らないお金の魅力は相対的に下がるからだ。
現在価値を求める数式は、複利の数式をそのまま「ひっくり返した」だけのものになる。
現在価値 = n年後の価値 ÷ (1 + 割引率)^n
複利の式が「現在→未来」への掛け算だったのに対し、現在価値の式は「未来→現在」への割り算になっている点に注目してほしい。これはまさに、「行き」と「帰り」の関係だ。100万円を5%の複利で10年運用すると約163万円になる、という「行き」の計算があるなら、「10年後の163万円は、割引率5%で今に割り引くと100万円になる」という「帰り」の計算が、寸分違わず成り立つ。この対称性こそが、複利と現在価値が「同じコインの裏表」であることを示している。
理論株価評価とは、突き詰めれば、「企業が将来(1年後、2年後、3年後……n年後)に生み出すお金を、それぞれ現在価値に割り引いて、全部足し合わせる」という作業に尽きる。この教科書のこれから先の章で登場する、フリーキャッシュフロー(FCF)だの、割引率(WACC)だの、ターミナルバリューだのといった専門用語は、すべてこの「未来のお金を、いつ、どれだけ、どんな割引率で、現在価値に翻訳するか」という一点をめぐる、細部の議論に過ぎない。エンジンの本体はもうこの章で手に入れた。あとは、そのエンジンにどんな燃料(=具体的な数字)を入れるか、という話が続いていくだけである。
最後に、この章の三つの概念——CAGR、複利、現在価値——の関係を、もう一度俯瞰しておこう。CAGRは「過去の凸凹をならして、1年あたりの成長率という単一の指標を取り出す道具」。複利は「その成長率を使って、現在の価値が未来にどう膨らんでいくかを計算する物理法則」。そして現在価値は「その物理法則を逆再生し、未来のお金を今の価値に引き戻す翻訳機」。この三つが三位一体となって、初めて「10年後の企業価値」という壮大なテーマに挑む土台が完成する。次章では、この土台の上に立つために欠かせない、企業の「財布の中身」——貸借対照表と純有利子負債——について見ていくことにしよう。