第10章 PERの理論と正しい使い方
読了の目安 約5分PART Iで、私たちは理論株価評価の「土台」を、これでもかというほど徹底的に固めてきた。CAGR、複利、現在価値、貸借対照表、FCF、希薄化、EVと株主価値、WACC、そして観測事実・推定・仮定の区別。ここまで来た君は、もう単なる初心者ではない。PART IIからは、いよいよこの土台の上に、実際に「使える評価モデル」を、レンガを積むように一つひとつ組み立てていく。その第一歩として、この章では、投資の世界で最も有名で、最も誤解されている指標——PER(株価収益率)——の正体を、根本から解き明かしていく。
PERとは何か:表面上の定義
PER(Price Earnings Ratio、株価収益率)の計算式自体は、驚くほどシンプルだ。
PER = 株価 ÷ 1株あたり利益(EPS)
あるいは、会社全体で見れば、
PER = 時価総額 ÷ 当期純利益
この数字が意味するのは、ざっくり言えば「今の利益水準がこのまま続くと仮定した場合、投資した金額を、利益の積み重ねだけで回収するのに、何年かかるか」という、いわば「回収年数」のようなイメージだ。PERが15倍であれば、単純計算で「15年分の利益」が、今の株価に織り込まれている、という捉え方ができる。
多くの初心者、いや、実を言えば少なくないベテラン投資家までもが、この「PER15倍は割安、PER40倍は割高」といった、単純な「絶対的な水準」の物差しとしてPERを使ってしまう。この章の最大の目的は、この使い方がなぜ危険であり、PERを正しく使うためには、一体何を理解しておく必要があるのか、その根っこの部分を、これでもかというほど丁寧に解き明かすことにある。
PERの正体は「成長率と割引率の縮約表現」である
ここで、PART Iで学んだ道具をフル動員して、PERの「中身」を分解していこう。理論株価評価の基本に立ち返れば、株主価値とは「将来の株主に帰属するキャッシュフローを、株主資本コストで現在価値に割り引いて、すべて足し合わせたもの」だった(第02章、第07章を思い出してほしい)。
もし仮に、ある会社が「毎年一定の成長率gで利益(そしてそれに連動する配当なりFCFEなり)を伸ばし続け、その状態が永遠に続く」と仮定できるなら(この仮定自体の危うさは次の第12章でGordon成長モデルとして詳しく扱う)、理論株価は、次のようなシンプルな式で近似できることが、数学的に導ける。
理論PER ≒ 1 ÷ (株主資本コスト − 永続成長率)
この式が意味するところを、じっくり噛み砕いてほしい。PERという、一見するとただの「株価÷利益」という単純な比率が、実はその奥に、「その会社の将来の成長率(g)」と「投資家が要求するリターン、すなわち株主資本コスト」という、二つの根本的な変数を、ぎゅっと圧縮して抱え込んでいる、ということだ。
この式から、極めて重要な二つの示唆が導かれる。一つ目は、「成長率が高い会社ほど、理論上、正当化されるPERは高くなる」ということだ。分母の「株主資本コスト−永続成長率」が小さくなればなるほど(つまり成長率gが株主資本コストに近づけば近づくほど)、PERは大きく跳ね上がる。だからこそ、急成長中のテクノロジー企業のPERが数十倍、時には百倍を超えるような水準になることがあっても、それが直ちに「異常な割高」だとは限らない、という理屈が成り立つ。もちろん、その高い成長率が本当に将来実現するかどうかは、また別の、極めて重要な検証課題ではあるのだが。
二つ目の示唆は、「株主資本コストが低い(=リスクが低いと見なされている)会社ほど、正当化されるPERは高くなる」ということだ。安定した生活必需品を扱う企業やインフラ企業など、ベータ(第07章参照)が低く、事業の不確実性が小さいと見なされる会社は、たとえ成長率がそこまで高くなくても、相応に高いPERが正当化されることがある。
「業種平均PER」との単純比較という罠
初心者が最も陥りやすい罠の一つが、「この会社のPERは業種平均より低いから割安だ」という、いわば「横並び比較」の発想だ。この発想には、一定の実用的な価値がある(同じ業種であれば、成長率や事業リスクがある程度似通っていることが多いため)一方、極めて危険な落とし穴も潜んでいる。
同じ業種に分類されている会社でも、その中身の成長率、収益の安定性、負債の水準、経営の質などは、決して一様ではない。ある会社が業種平均よりPERが低いのは、単に「市場から過小評価されている割安株」だからかもしれないし、あるいは「その会社固有の構造的な問題(成長性の欠如や、経営リスクの高さなど)を、市場が正しく織り込んだ結果」かもしれない。この二つを見分けずに、「PERが低い=割安」と機械的に結論づけてしまうのは、理論株価評価というよりは、単なる数字遊びに堕してしまう。
いわゆる「バリュートラップ(割安の罠)」と呼ばれる現象——PERが低いからと買ったら、実はその低さには正当な理由があり、株価がそこからさらに下がり続けてしまう現象——は、まさにこの単純比較の落とし穴に、投資家がはまり込んだ結果として頻発する。
PERを正しく使うための実践的な作法
では、PERをどう使えばいいのか。この教科書が提案する作法は、こうだ。「PERを、割安・割高を判定する“物差し”としてではなく、“市場が今、この会社の将来についてどんな成長率とリスクを織り込んでいるかを逆算するための、逆算装置”として使う」というアプローチである。
先ほどの近似式を、逆に整理してみよう。市場がつけている実際のPERと、その会社の株主資本コスト(第07章で学んだCAPMなどから推定できる)が分かれば、そこから「市場が織り込んでいる永続成長率」を逆算することができる。
市場織り込み永続成長率 ≒ 株主資本コスト − (1 ÷ 現在のPER)
この逆算によって、「市場は、この会社が将来、年率何%程度で永続的に成長すると期待しているのか」という、極めて重要な問いへの、定量的な手がかりが得られる。そして、この「市場が織り込んでいる成長率」を、自分自身がドライバー予測(第08章参照)を通じて構築した「自分なりの成長率の見立て」と、正面から比較することができる。もし市場の織り込みよりも、自分の見立ての方が楽観的であれば、それは「割安」と判断する根拠になりうるし、逆であれば「割高」の可能性を疑うべきだ、ということになる。
PERの限界:利益という「意見」に依存している脆さ
最後に、PERという指標そのものが抱える、構造的な限界にも触れておかなければ、誠実さに欠ける。第04章で「利益は意見であり、キャッシュは事実である」という格言を紹介したことを覚えているだろうか。PERの分母は、まさにこの「意見」である当期純利益だ。会計上の一時的な特別損益(第08章の「正常化」の議論を思い出してほしい)によって、単年度の利益が大きく歪んでいる場合、その歪んだ利益をそのままPERの分母に使ってしまうと、PERの数字自体が、実態を反映しない、ミスリーディングなものになってしまう。
だからこそ、実務でPERを扱う際には、必ず「正常化後の利益」を使う、あるいは複数年度の平均利益を使うといった工夫が施される。この一手間を惜しまないことこそが、PERという、一見シンプルで古典的な指標を、真にプロフェッショナルなレベルで使いこなすための、最後の仕上げなのである。