第21章 銀行をP/TBVと残余利益で評価する
読了の目安 約4分この章から、いよいよ「特殊な業種」の評価手法に足を踏み入れる。その最初の対象が、銀行である。銀行の企業価値評価は、これまで学んできた一般的な事業会社の評価手法(特にFCFF DCF)を、そのままの形で適用することが極めて難しい、代表的な業種である。この章では、「なぜ銀行にはDCFが向かないのか」という根本的な理由を解き明かした上で、銀行評価の実務で広く用いられている、P/TBV(株価純有形自己資本倍率)と残余利益モデルという、二つの手法を扱う。
なぜ銀行にFCFF DCFはなじまないのか
まず、第13章で学んだFCFF DCFを思い出してほしい。あの手法では、「有利子負債」を、企業が事業のために調達した資金であり、いずれ返済すべきコストとして扱っていた。しかし、銀行のビジネスモデルを考えてみてほしい。銀行にとって、顧客からの「預金」は、会計上は負債として計上されるが、これは事業会社にとっての「借入金」とは、その性質が全く異なる。銀行にとって、預金とは、いわば「原材料の仕入れ」に相当する、事業運営の根幹をなす、本業そのものの一部なのだ。銀行は、預金という「原材料」を調達し、それを企業や個人への「貸出」という形で「加工」し、その利ざや(貸出金利と預金金利の差)を主な収益源としている。
このように、銀行にとって「負債」と「事業」の境界線が、一般の事業会社とは全く異なる構造を持っているため、第13章で前提としていた「FCFFは、負債の影響を除いた、事業そのものが生み出すキャッシュフローである」という発想自体が、銀行には、そのままの形では当てはまらないのだ。
さらに、銀行の「資産」の大部分を占める貸出金は、その多くが将来の貸し倒れリスク(信用リスク)を内包しており、第03章で学んだ「資産の帳簿価格が必ずしも実勢価値を反映しない」という論点が、銀行においては、特に強く、そして特に重要な形で表れる。
P/TBV(株価純有形自己資本倍率)という、銀行評価の標準的な物差し
こうした事情から、銀行の評価においては、第16章で学んだP/Bの考え方を発展させた、P/TBV(Price to Tangible Book Value、株価純有形自己資本倍率)という指標が、実務上、極めて広く用いられている。
「有形(タンジブル)」という言葉がついている理由は、自己資本の中から、のれん(M&Aによって発生する、買収価格が対象企業の純資産を上回った部分の、会計上の資産計上額)といった無形資産を除外するためだ。銀行の評価においては、実際に将来の返済原資や、規制上の自己資本比率規制の対象となる「実質的な、有形の自己資本の厚み」こそが重要であり、のれんのような無形の会計上の資産は、この観点からは意味を持ちにくいと考えられている。
そして、第16章で学んだP/BとROEの関係式(理論P/B≒(ROE−g)÷(株主資本コスト−g))が、この銀行評価においても、そのままの構造で応用される。ここでのROEは、有形自己資本に対する当期純利益の比率(ROTE、Return on Tangible Equityと呼ばれることもある)に置き換えられる。銀行のROTEが、その銀行の株主資本コストを上回っているかどうかが、P/TBVが1倍を上回るべきか、下回るべきかを判断する、決定的な分水嶺となる。
銀行における残余利益モデルの応用
第16章で学んだ残余利益モデルもまた、銀行評価において、極めて自然な形で応用される。銀行の場合、「現在の有形自己資本の帳簿価格」を出発点とし、そこに「将来、株主資本コストを上回る残余利益(超過収益)を、どれだけ積み上げられるか」を加算していく、という発想は、銀行のビジネスモデルと非常に相性が良い。
なぜなら、銀行の収益力は、根本的には「調達した預金・資本を、どれだけ効率的に貸出や有価証券投資に振り向け、利ざやを稼げるか」という、いわば「自己資本の運用効率」の問題に帰着するからだ。これは、まさに残余利益モデルが問うている「資本コストを上回る超過利益を生み出せているか」という問いと、完全に軌を一にしている。
銀行評価で特に注意すべき、固有のリスク要因
最後に、銀行を評価する際に、他の業種以上に慎重に検証すべき、固有のリスク要因についても触れておきたい。一つは「信用リスク(貸し倒れリスク)」だ。景気後退局面では、銀行の貸出先の経営が悪化し、貸し倒れ(不良債権化)が増加することで、銀行自身の収益や自己資本が大きく毀損するリスクがある。過去の景気サイクルにおける不良債権比率の推移などを確認し、その銀行の与信管理の質を見極めることが、正常化(第08章)の作業において、極めて重要になる。
もう一つは「金利変動リスク」だ。銀行の収益は、貸出金利と預金金利の差(利ざや)に大きく依存しており、この利ざやは、中央銀行の金融政策や市場金利の動向によって、大きく変動しうる。将来の利ざやの水準をどう見立てるかは、銀行のドライバー予測(第08章)における、最も重要な論点の一つとなる。