第12章 Gordon成長モデルとDDM
読了の目安 約4分この章では、理論株価評価の歴史において、最も古典的でありながら、今なお極めて重要な地位を占め続けている二つのモデル——配当割引モデル(DDM、Dividend Discount Model)と、その中でも特に有名な特殊形である、ゴードン成長モデル(Gordon Growth Model)——を扱う。この二つのモデルは、これまで学んできたすべての概念(現在価値、株主資本コスト、成長率)が、初めて一つの完結した「株価計算式」として結晶化する、記念すべき瞬間である。
DDMの根本思想:株主が受け取るのは「配当」である
DDMの出発点にある思想は、極めてシンプルかつ根源的だ。「株主が、株式を保有することによって実際に懐に受け取る現金は、結局のところ配当である。だから、株式の理論価値とは、将来受け取るすべての配当を、株主資本コストで現在価値に割り引いて、足し合わせたものである」という考え方だ。
数式で書けば、次のようになる。
株主価値(1株あたり) = 1年後の配当を現在価値に割り引いたもの + 2年後の配当を現在価値に割り引いたもの + 3年後の配当を現在価値に割り引いたもの + ……(これを無限の将来まで続ける)
これは、第02章で学んだ現在価値の考え方を、そのまま「配当」という具体的なキャッシュフローに適用した、最も素直な応用形である。理論的には、この式は非常に美しく、直感的にも納得しやすい。株主が実際にポケットに入れるお金は配当なのだから、その配当の将来の流れを現在価値に翻訳すれば、それが理論的な株価だ、というロジックには、隙がないように見える。
ゴードン成長モデル:無限の未来を、一つの式に圧縮する魔法
しかし、ここで一つの実務上の大問題にぶつかる。「無限の将来まで、毎年の配当を個別に予測し続ける」ことなど、現実には到底不可能だ。ここで登場するのが、ゴードン成長モデルという、驚くほどエレガントな数学的トリックである。
ゴードン成長モデルは、「配当は、今後、永遠に、一定の率gで成長し続ける」という、大胆な単純化の仮定を置く。この仮定さえ受け入れれば、無限に続く足し算(等比級数の和)は、高校数学で習う等比級数の公式を使うことで、驚くほどシンプルな、たった一行の式に集約できてしまう。
理論株価 = 来年予想される1株あたり配当 ÷ (株主資本コスト − 永続成長率g)
この式の美しさは、まさに圧巻だ。無限の未来にわたる、複雑で予測不可能なはずの配当の流れが、たった三つの変数——来年の配当、株主資本コスト、永続成長率——だけで、完全に表現されてしまう。第10章で紹介した「理論PER ≒ 1÷(株主資本コスト−永続成長率)」という近似式が、実はこのゴードン成長モデルの構造そのものに由来していた、ということも、ここで振り返っておくと理解が深まるはずだ。
ゴードン成長モデルの「恐るべき脆さ」:分母がゼロに近づく罠
しかし、この美しい式には、極めて危険な「地雷」が仕込まれている。それが、分母である「株主資本コスト−永続成長率g」の部分だ。
もし、評価者が置く永続成長率gが、株主資本コストに限りなく近づいていくと、この分母は限りなくゼロに近づいていく。分母がゼロに近づけば近づくほど、理論株価は無限大に向かって発散してしまう。数式上、もしgが株主資本コストを上回ってしまえば、分母がマイナスになり、理論株価はマイナスという、経済的に全く意味をなさない結果すら生じてしまう。
これは、単なる数学上の奇妙な現象ではない。実務上、極めて重大な警告として受け止めるべきものだ。「永続成長率を、少し高めに、楽観的に見積もっただけのつもりが、理論株価が信じられないほど跳ね上がってしまう」という現象は、ゴードン成長モデルを扱う実務家が、繰り返し繰り返し陥ってきた、歴史的な落とし穴である。
だからこそ、この教科書は、永続成長率gを設定する際の、絶対に守るべき「重力の法則」を、ここで強く釘を刺しておきたい。永続的な成長率というのは、定義上、「未来永劫、毎年その率で成長し続ける」という前提を置いているのだから、常識的に考えて、その国・その世界経済全体の長期的な名目成長率(GDP成長率にインフレ率を加味したような水準)を、大きく超え続けることは、論理的にありえない。もしある一企業が、世界経済全体よりも速いペースで、永遠に成長し続けたら、理論上、その企業はいずれ世界経済全体を飲み込んでしまう、という馬鹿げた結論に至ってしまうからだ。実務上、永続成長率は、多くの場合、その国の長期的な期待インフレ率プラス実質GDP成長率程度、たかだか年数%程度の、極めて保守的な水準に設定されるべきである。
DDMが向いている会社、向いていない会社
DDM(そしてゴードン成長モデル)は、あらゆる会社に等しく適用できる万能薬ではない。この手法が特に力を発揮するのは、「配当政策が安定していて、予測可能な、成熟した大型企業」だ。例えば、電力・ガスといった公益企業や、成熟した消費財メーカーなど、長年にわたって安定的な配当を支払い続けてきた実績がある会社は、DDMとの相性が良い。
一方で、そもそも配当をほとんど、あるいは全く支払っていない企業(急成長中のテクノロジー企業などに多い)や、業績の変動に応じて配当額を大きく変動させる企業には、DDMをそのまま適用することは難しい。「配当を支払っていない会社は、DDM上では価値がゼロになってしまうのか」という、もっともな疑問が浮かぶだろう。この問題への実務的な解答は、「配当ではなく、配当を支払う“余力”そのもの、すなわちFCFE(株主に帰属するフリーキャッシュフロー)を使って割り引く」という、次の第14章で扱うFCFE DCFという、より柔軟な手法へと発展していくことになる。DDMは、FCFEアプローチの、いわば「配当という、最も分かりやすい特殊ケースに限定した」バージョンだと理解しておくと、両者の関係がすっきり整理できるはずだ。