第29章 総合商社のSOTP評価
読了の目安 約3分この章から、日本市場において特に重要な意味を持つ、いくつかの特徴的な業態の評価に焦点を当てていく。その最初が、総合商社である。総合商社は、第19章で学んだSOTP(事業別価値の合算)の発想が、最も典型的に、そして最も高い精度で応用される、代表的な業態の一つである。
総合商社という、極めて多角化された事業体
総合商社のビジネスモデルは、資源(エネルギー、金属、食料など)のトレーディング(仲介・売買)から、事業投資(国内外の様々な企業・事業への出資、経営参画)、物流、金融、さらには小売やインフラ事業まで、実に広範な分野にまたがっている。この多角化の度合いは、第19章で例に挙げた「二つの事業セグメント」どころではなく、時には十以上のセグメントに及ぶこともある、極めて複合的な事業構造を持っている。
このような会社を、単一のPERやEV/EBITDA倍率で一括評価することの無理は、第19章の議論から、もはや説明を要さないだろう。総合商社の評価においては、SOTPが、ほぼ唯一の、実務上、説得力を持つアプローチとして、広く定着している。
総合商社SOTP評価の実践的な手順
総合商社のSOTP評価の実践的な手順を、確認しておこう。まず、その商社が開示しているセグメント情報(多くの場合、資源・エネルギー、金属、機械、化学品、食料、生活産業、その他といった形で区分されている)ごとに、それぞれの収益性(第04章で学んだFCFの水準)と、その事業特性に応じた評価倍率(あるいは個別の割引率)を割り当てる。
このとき重要なのが、事業ごとの「価値評価手法の使い分け」だ。資源トレーディング事業であれば、第25章で学んだ資源価格の変動性を織り込んだ評価アプローチが適用されるべきだろうし、小売・生活消費関連の事業であれば、より安定的なPERベースの評価が適するだろう。事業投資として保有している上場子会社・関連会社の持分については、第19章で学んだ持株会社NAVの考え方(保有先の時価総額×保有比率)を、そのまま適用することができる。
これらの事業セグメントごとの評価額を合算し、全社共通の本社費用の影響や、純有利子負債(第03章)を調整することで、総合商社全体のSOTP評価額が導かれる。
総合商社に特有の論点:資源価格連動性と、非上場投資先の評価
総合商社のSOTP評価において、特に注意すべき論点が二つある。一つは、多くの総合商社が、資源関連の事業投資(海外の鉱山権益や、油田・ガス田の権益など)を多く保有しているため、会社全体の業績が、資源価格の変動(第25章で扱った通り、極めて予測が困難な変数である)に、大きく左右されやすいという点だ。
もう一つは、総合商社が保有する事業投資先の多くが、非上場企業であるという点だ。この場合、第18章で学んだ非上場企業評価の手法(DCFに基づく内在的評価、そして必要に応じた非流動性ディスカウントの検討)を、個々の投資先ごとに、丁寧に適用していく必要がある。この作業は、開示情報が限られる非上場投資先について、外部の評価者が精度高く行うことが難しい場合も多く、総合商社のSOTP評価が、他の業種と比べて、相応の推定(第09章でいう「推定」の要素が強い)を伴う、難易度の高い作業であることを、率直に認識しておくべきだろう。
総合商社にも観察される、コングロマリット・ディスカウント
第19章で扱ったコングロマリット・ディスカウントの現象は、総合商社においても、しばしば観察されてきた。日本の総合商社の株価が、長年にわたり、SOTPによる理論価値と比べて、割安に評価される傾向があった、という指摘は、実務界・学術界の双方で、繰り返し議論されてきたテーマである。近年、コーポレートガバナンス改革や、株主還元強化の流れの中で、こうした評価ギャップの是正が進んできた、という文脈も、あわせて押さえておくとよいだろう。