第11章 上場黒字企業の簡易評価
読了の目安 約4分この章では、いよいよ理論を実践に落とし込む、最初の具体的なステップに入る。「上場している、黒字の(利益が出ている)企業」という、比較的評価がしやすい対象について、これまで学んできた道具を総動員して、実際に「ざっくりとした、しかし論理的に筋の通った」理論株価を算出する、簡易評価のフレームワークを組み立てていく。
なぜ「上場黒字企業」から始めるのか
理論株価評価の対象となる企業には、実にさまざまなタイプが存在する。まだ利益が出ていない赤字のスタートアップ、複雑な金融商品を抱える銀行や保険会社、資源価格の変動に業績が大きく左右される資源会社——それぞれに、固有の評価手法上の難しさがある。
その中で「上場していて、かつ黒字である企業」は、相対的に評価がしやすい部類に入る。理由は二つある。一つは、上場企業であるがゆえに、有価証券報告書や決算短信といった、信頼性の高い開示情報(第09章で言う「観測事実」)が豊富に入手できることだ。もう一つは、黒字であるがゆえに、PER(第10章)のような、利益をベースにした指標が、意味のある形で機能することだ(赤字企業には、そもそもPERという概念自体が定義できない)。
この章では、こうした「評価しやすい対象」を出発点とすることで、これから先の章で扱う、より複雑で高度な評価手法(DCFやDDMなど)への橋渡しとしての「簡易評価」の型を身につけることを目指す。
簡易評価の三本柱:収益性・成長性・安全性
上場黒字企業を簡易評価する際、この教科書が推奨するのは、「収益性」「成長性」「安全性」という三つの柱を、それぞれ独立してチェックし、最後にそれらを統合する、というアプローチだ。
一つ目の柱、「収益性」では、第04章で学んだFCFの水準や、営業利益率、ROE(自己資本利益率)、ROIC(投下資本利益率、これは第15章で改めて詳しく扱う)といった指標を用いて、「この会社は、投じられた資本に対して、どれだけ効率的に利益・現金を生み出しているか」を確認する。収益性が高い会社は、それだけ将来の価値創出力が高いと期待できる。
二つ目の柱、「成長性」では、第02章のCAGRを使って過去の売上・利益の成長率を確認し、さらに第08章のドライバー予測の考え方を用いて、その成長が今後も持続可能かどうかを検討する。過去の成長が、一時的な追い風(たとえば特需や、規制環境の一時的な変化)によるものだったのか、それとも構造的で持続可能なものだったのかを見極めることが、ここでの核心的な作業になる。
三つ目の柱、「安全性」では、第03章で学んだ純有利子負債の水準や、自己資本比率、インタレスト・カバレッジ・レシオ(営業利益が支払利息の何倍あるかを示す指標で、借金の返済余力を測る)などを用いて、「この会社は、経済環境が悪化した場合でも、財務的に持ちこたえられるか」を確認する。どれだけ収益性・成長性が高くても、財務的な脆さを抱えている会社は、不測の事態で一気に価値を毀損するリスクを抱えている。
簡易評価の具体的な手順
これら三本柱を踏まえた上で、実際の簡易評価の手順を、ステップバイステップで整理しよう。
まず第一に、直近数年分の決算データを収集し、第08章で学んだ「正常化」の作業を行い、一時的な特殊要因を取り除いた、実力ベースの利益・FCFを算出する。
第二に、この正常化された利益・FCFのCAGR(過去の成長率)を計算し、それが今後も継続可能かどうかを、業界動向や競合状況、その会社固有の戦略(新規出店計画や新製品投入計画など)を踏まえて吟味する。
第三に、第10章で学んだPERの逆算アプローチを用いて、「現在の市場株価が、どの程度の将来成長率を織り込んでいるか」を算出する。
第四に、自分自身が第二ステップで見立てた「今後の妥当な成長率」と、第三ステップで算出した「市場が織り込んでいる成長率」を比較する。自分の見立てが市場の織り込みよりも強気であれば、その株は理論的に割安である可能性が示唆される。逆であれば、割高である可能性が示唆される。
第五に、この比較だけで結論を出すのではなく、第三の柱である「安全性」のチェックを必ず経由する。どれだけ割安に見えても、財務的な安全性に懸念がある会社については、慎重な判断が求められる。
簡易評価はあくまで「一次スクリーニング」である
この章の最後に、極めて重要な注意点を強調しておきたい。ここで紹介した簡易評価の手法は、あくまで「多数の候補企業の中から、より深く調べる価値のある企業を絞り込むための、一次スクリーニング」として位置づけられるべきものであり、それ自体で「これが最終的な理論株価だ」と断定するには、精度が不十分である。
より精緻で、より説得力のある理論株価を算出するためには、この教科書の後の章で扱う、DCF(割引キャッシュフロー法)や、DDM(配当割引モデル)といった、より本格的なフレームワークに進む必要がある。この章で紹介した簡易評価は、いわば「本格的な精密検査の前に行う、健康診断の問診票」のようなものだと考えてほしい。問診票だけで手術の方針を決める医者がいないように、簡易評価だけで大きな投資判断を下すことは、避けるべきである。