第13章 10年FCFF DCFを組み立てる
読了の目安 約5分いよいよ、この教科書のタイトルにもある「10年後の株価」という壮大なテーマに、真正面から取り組む、実践的な本丸に到達した。この章で扱う「10年FCFF DCF(割引キャッシュフロー法)」こそが、プロフェッショナルの実務の現場で、企業価値評価の王道として、最も広く用いられている手法である。ここまで学んできたPART Iのすべての道具と、PART IIの序盤で扱ったPERやDDMの考え方が、この章で一気に統合される。
FCFFとは何か:企業全体に帰属するキャッシュフロー
まず、タイトルにある「FCFF」という略語から解きほぐそう。FCFF(Free Cash Flow to the Firm)とは、日本語で「企業全体に帰属するフリーキャッシュフロー」を意味する。第04章で学んだFCFの概念を思い出してほしい。あのFCFは、実はこのFCFFのことを指していた。「企業全体」に帰属する、という言葉の意味は、第06章で学んだ「EVと株主価値」の区別を思い出せば、すぐにピンとくるはずだ。FCFFとは、株主にも債権者にも分配される前の、「パイ全体」としてのキャッシュフローなのである。
だからこそ、FCFFを現在価値に割り引く際に使う割引率は、第07章で学んだ、株主と債権者両方のコストを加重平均したWACCでなければならない、という論理的な一貫性が、ここで改めて確認される。「パイ全体(FCFF)」には「パイ全体の割引率(WACC)」を対応させる。この対応関係を絶対に崩さないことが、この手法全体の一貫性を保つ生命線である。
10年DCFの全体設計図
10年FCFF DCFの全体の流れを、まず俯瞰しておこう。この手法は、大きく三つのパーツで構成される。
第一のパーツは、「明示的予測期間」だ。これは第08章で扱った「正常化とドライバー予測」の技術をフル活用して、今後1年目から10年目までの、各年のFCFFを、一年ごとに個別に予測していく部分である。
第二のパーツは、「ターミナルバリュー(継続価値)」だ。10年という予測期間が終わった後、11年目以降、その会社が「永続的に」生み出し続けるであろう価値を、第12章で学んだゴードン成長モデルの考え方を応用して、一つの塊として計算する。この部分は、次の第15章で、より詳細に掘り下げる。
第三のパーツは、これら二つ(明示的予測期間のFCFFと、ターミナルバリュー)を、それぞれWACCを使って現在価値に割り引き、すべて合計することで、企業全体のEV(企業価値)を算出する、という総仕上げの作業だ。
そして、第06章で学んだ手順に従い、このEVから純有利子負債を差し引いて株主価値を求め、第05章で学んだ希薄化後の発行済株式数で割ることで、ようやく「1株あたりの理論株価」にたどり着く。
ステップ・バイ・ステップの組み立て手順
具体的な組み立て手順を、順を追って確認していこう。
ステップ1として、第08章の手法に従い、直近の実績データを正常化し、売上高・利益率などのドライバーごとに、今後10年間の年次予測を立てる。これにより、各年の営業利益や税金、減価償却費、設備投資、運転資本の増減といった、FCFF算出に必要なすべての構成要素が揃う。
ステップ2として、これらの構成要素を積み上げ、1年目から10年目までの各年のFCFFを算出する。基本的な算出式は次の通りだ。
FCFF = 税引後営業利益(NOPAT) + 減価償却費 − 設備投資 − 運転資本の増加額
ここで「税引後営業利益(NOPAT)」という新しい言葉が出てきた。これは、営業利益に対して、実効税率を適用した税金を差し引いた後の利益のことで、企業が事業活動から得る、純粋な税引き後の利益力を示す指標だ。当期純利益とは異なり、支払利息の影響(これは債権者の取り分に関わる話であり、FCFFという「パイ全体」の計算には、あえて含めない)を除いた数字を使う点に注意してほしい。この「支払利息を除く」という処理こそが、FCFFが「株主にも債権者にも分配される前の、パイ全体」であることの、数式上の表れである。
ステップ3として、第07章で学んだ手法によってWACCを算出する。
ステップ4として、1年目から10年目までの各年のFCFFを、それぞれWACCを使って現在価値に割り引く。n年目のFCFFの現在価値は、「n年目のFCFF ÷ (1+WACC)のn乗」という、第02章で学んだ現在価値の公式そのものである。
ステップ5として、10年目時点でのターミナルバリューを算出し(詳細は第15章)、それを10年分、WACCで現在価値に割り引く。
ステップ6として、ステップ4で求めた10年分の現在価値と、ステップ5で求めたターミナルバリューの現在価値を、すべて合計する。これが企業全体のEVである。
ステップ7として、第06章の手順に従い、EVから純有利子負債を引いて株主価値を求め、第05章の希薄化後株式数で割って、1株あたりの理論株価を得る。
なぜ「10年」なのか:明示的予測期間の長さについての考え方
この教科書のタイトルが「10年FCFF DCF」となっていることについて、なぜ5年でも20年でもなく10年なのか、という点にも触れておきたい。明示的予測期間の長さの選び方には、絶対的な正解はなく、業界の特性や、評価対象企業の成長ステージによって、適切な長さは変わってくる。
一般的に、既に成熟した安定企業であれば、5年程度の明示的予測期間でも十分な場合が多い。一方、まだ成長の途上にあり、今後数年間で事業構造や収益性が大きく変化していくと見込まれる企業(例えば、赤字から黒字に転換しつつある成長企業や、新規事業が軌道に乗り始めた企業)については、その「変化のプロセス」をより丁寧に織り込むために、10年程度の、やや長めの明示的予測期間を取ることが有効になる。この教科書が「10年後の株価予測」を掲げているのも、まさにこうした、変化の途上にある企業を、より解像度高く捉えるための時間軸として、10年という期間を採用しているからである。
ただし、予測期間を長く取れば取るほど、当然、遠い将来の予測に伴う不確実性は増大していく。10年目の予測は、1年目の予測よりも、当然ながら「仮定」としての性格が強くなる(第09章を思い出してほしい)。この不確実性の増大を自覚した上で、後の章で扱う感度分析やシナリオ分析(複数のシナリオを並行して検討する手法)を組み合わせることで、10年という長い時間軸に伴う不確実性を、適切に管理していくことが求められる。