第15章 ターミナル価値とROIC
読了の目安 約5分第13章、第14章で組み立てたDCFモデルの中で、実は「明示的予測期間(10年間)」の部分よりも、はるかに大きなウェイトを占めることが多い、極めて重要な構成要素があった。それが「ターミナルバリュー(継続価値)」である。この章では、このターミナルバリューの計算方法を、より深く掘り下げるとともに、その計算の妥当性を検証するための、極めて重要な指標——ROIC(投下資本利益率)——について、徹底的に扱っていく。
なぜターミナルバリューが、これほど大きなウェイトを占めるのか
多くの初心者が、実際にDCFモデルを組み立ててみて驚くのが、「10年間、あれだけ苦労してドライバー予測を積み上げたのに、最終的な企業価値の大部分(実に半分から、時には8割近くにも達することがある)が、たった一つの数字であるターミナルバリューによって決まってしまう」という事実だ。
これは、決してモデルの欠陥ではなく、複利という現象の本質的な性質から生じる、避けられない帰結である。第02章で学んだ複利の考え方を思い出してほしい。「永遠に続く」という前提を置くターミナルバリューは、数学的には「無限に続く価値の流れ」を内包しており、その総和が大きくなるのは、ある意味で当然のことなのだ。
この事実が意味することは重大だ。「10年後の株価」というテーマを扱うこの教科書において、実は最も慎重に、最も注意深く扱わなければならないのは、10年目までの一年一年の予測の精緻さ以上に、この「ターミナルバリューをどう設定するか」という一点に集約される、と言っても過言ではない。
ターミナルバリューの標準的な計算方法:ゴードン成長モデルの応用
ターミナルバリューの計算には、いくつかの手法があるが、最も広く用いられているのが、第12章で学んだゴードン成長モデルを応用する方法だ。
ターミナルバリュー(10年目時点) = 11年目のFCFF ÷ (WACC − 永続成長率g)
この式は、第12章のゴードン成長モデルの式と、全く同じ構造をしている。「10年目以降、企業が永続的に、一定の率gで成長し続ける」という仮定を置くことで、11年目以降の無限に続くキャッシュフローの流れを、この一行の式に圧縮しているのだ。
そして、このターミナルバリューは「10年目時点での価値」として算出されるため、これを現在(0年目)の価値に割り引くためには、さらにもう一段階、10年分の割引計算(1÷(1+WACC)の10乗を掛ける)を行う必要がある、という点を忘れないでほしい。
永続成長率gの設定:第12章の警告を、ここでも徹底する
第12章で強調した、永続成長率gに関する「重力の法則」——長期的にはその国・世界経済全体の名目成長率を大きく超え続けることはできない、という原則——は、このターミナルバリューの計算においても、寸分違わず適用される。むしろ、DCF全体の価値の大部分を左右するこの局面でこそ、この原則を、これでもかというほど保守的に、厳格に適用しなければならない。わずか1〜2%ポイントの永続成長率の違いが、最終的な理論株価を、時には数十パーセントも動かしてしまう、ということを、肝に銘じておいてほしい。
ROICという「もう一つの検算装置」:成長は本当に価値を生んでいるか
ここで、この章のもう一つの主役、ROIC(Return On Invested Capital、投下資本利益率)の出番だ。ROICとは、企業が事業に投じた資本(有利子負債と株主資本の合計、おおよそ第03章・第07章で扱った概念の応用形)に対して、どれだけの税引後営業利益(NOPAT、第13章で登場した概念)を生み出しているかを示す、収益効率性の指標である。
ROIC = 税引後営業利益(NOPAT) ÷ 投下資本
なぜ、ターミナルバリューの章で、このROICが極めて重要になるのか。理由は、「成長すること」と「価値を生むこと」は、実は全く同じ意味ではない、という、理論株価評価における、非常に深遠かつ実践的な真実にある。
考えてみてほしい。ある企業が、事業を拡大するために、大規模な設備投資を行い、売上高を急速に伸ばしているとする。表面上、これは「成長している素晴らしい会社」に見える。しかし、もしその企業のROICが、WACC(その企業の資金調達コスト)を下回っていたらどうだろうか。これは、「新たに投じた1円の資本から得られるリターンが、その1円を調達するためにかかったコストよりも低い」ということを意味する。つまり、その企業は「成長すればするほど、実は価値を破壊している」という、皮肉な状況に陥っているのだ。
逆に、ROICがWACCを大きく上回っている企業であれば、「新たに投じた資本が、そのコストを上回るリターンを生み出している」ということであり、この場合の成長は、正真正銘、企業価値を積み上げていく、望ましい成長だと言える。
ターミナルバリューにおける「ROICとgの整合性チェック」
この「ROIC対WACC」という視点は、ターミナルバリューの永続成長率gを設定する際の、極めて有効な「検算装置」として機能する。もし、DCFモデルの中で設定した10年目以降のROICが、WACCを大きく下回っているにもかかわらず、それでいて高い永続成長率gを設定してしまっているとしたら、それは論理的な矛盾を抱えていることになる。「価値を破壊するような低いROICの事業を、それでも高い成長率で拡大し続ける」という前提は、経営判断としても極めて不合理であり、通常、そのような状況が長期間放置されることは考えにくい。
逆に言えば、健全なターミナルバリューの前提とは、「その企業が、少なくともWACCと同程度、あるいはそれ以上のROICを維持できる」という前提と、整合的な永続成長率gを設定することなのだ。多くの実務家が用いる、より精緻なターミナルバリューの計算アプローチでは、単純なゴードン成長モデルの式だけでなく、この「ROICとWACCの関係」を明示的に組み込んだ、より発展的な公式(いわゆる価値創造の公式)を用いることもある。この教科書では、まずはこの「ROICとWACCの比較によって、ターミナルバリューの前提の妥当性を検算する」という発想そのものを、しっかりと身につけてもらうことを、当面のゴールとしたい。